復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月17日「B52阻止で要請 県議会代表団」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月17日の琉球新報1面トップは、「まず台湾問題で官職/外務省、対中予備折衝を準備/首脳の訪中前に詰め/米国などとも緊密に連絡」との見出しで、日中国交正常化交渉の最大の焦点が台湾問題の処理であるとして、中国側が日台関係をどう考えているのかを政府首脳の訪中前に探る必要があるとの認識で動き出していることを伝えている。

 記事では「日台条約の扱いについて大平外相は『日中国交正常化が完結した場合、日華条約が存在しているとは考えられない』(7日の記者会見)と述べ、同条約の消滅を認めた。また佐藤内閣末期のソウルで開かれたASPAC(アジア太平洋閣僚会議)でも愛知主席代表は沈国府外相を前に『日中正常化をはかる』と、国府に対する事実上の〝縁切り〟宣言をしている」と記している。

 関連記事では「周首相、日本外相の訪中示唆」との記事も掲載している。

 沖縄からは、復帰後に沖縄県議会がスタートして以来初めての代表派遣となる「B52機再飛来阻止要請団」の上京を「『B52阻止』で要請/県議会の代表団が上京」との見出しで伝えている。記事では、代表団団長の平良幸市議長の会見での決意にも触れ「外務大臣は(中略)『台風のときはやむを得ない』との趣旨の回答をしているが、理由のいかんを問わずB52はくるな、というのがわれわれの主張である」「立法院時代と違い、県議会移行後は、憲法による政治の主人公の地位を取り戻したわけであり、その立場から強く要求するつもりだ。B52を県民がいかにいやがり、こわがっているかを、政府要人は理解しているかどうか疑問である。(中略)機能そのものからして、戦争反対、平和を求める県民の、B52に対する感情がどれほどのものか理解していないのではないか」と紹介している。

 関連記事として外務省の見方も紹介しており、見出しでは「こんごも〝緊急避難〟ありうる/B52飛来で外務省の見方」と掲げている。

 

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。