復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月20日「高速道路建設を確約」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月20日の琉球新報1面トップは、「訪中の可能性を示唆/田中首相が初の記者会見/年内解散はしない/円切り上げ絶対避ける」との見出しで、就任後、初めての会見に臨んだ田中角栄首相の発言内容を、「改憲必要ない」との骨子とともに掲載している。

 これに関連して「野党各党/空疎な内容を指摘」との見出しで、首相発言を野党が批判する内容を紹介している。

 沖縄国際海洋博覧会の開催に向けた開発整備に関して「高速道路建設を確約/建設省/来年4月まで用地取得を条件に」との見出しで、上京中の宮里松正副知事が政府の関係各省庁と折衝した内容を伝えている。その中で「木村建設相は『恩納損仲泊以北の北部縦貫高速道路に建設することを確約、西回りにするか、それとも東回りにするかは20日調査団を派遣し、今月中にも最終決定することになった」と記している。

 復帰後、初めてとなる県当局と与党との合同会議開催を伝える記事では「予算規模689億円に/〝復帰処理〟に重点置く」との見出しで、復帰を挟んで暫定予算で進めてきたものを組み替える本予算の規模を伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。