復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月22日「石川―名護間に高速道建設」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月22日の琉球新報1面トップは、「首相、年内訪中を決意/外相同行、今秋に/国交正常化、予想上回るテンポ」との見出しで、田中内閣の最大の懸案であった日中国交正常化に向けて田中角栄首相が中国を訪問する決意を固めたことを伝える記事を掲載している。関連では「外相陣頭に着実なペースで/田中・孫会談、当面見送り」と国交正常化に向けた地固めの動きも紹介している。記事中では「日中正常化を結実させるためには、まず日本側の立場を固めることが緊要な課題であるとして当面、田中首相と来日中の孫平化中日友好協会副秘書長との会談を見送り、外交の責任者としての大平外相が接触する構えである」と伝えている。

 さらには日中接近ムードの盛り上がりを象徴するように「上海舞劇団を空輸/政府、日中正常化に初行動」との見出しで、来日中の中国上海舞劇団の帰国に日本から航空機を提供して上海に送り届ける方針を決めたことを伝える記事も掲載している。

 それに隣接して「周首相、復交に積極的/佐々木氏帰国/きょう首相に報告」との見出しで、田中内閣発足後に日本の政治家として初めて中国を訪問していた社会党の佐々木更三元委員長が帰国し、周恩来首相との会談の内容を田中首相に伝える意向を示していることを伝えている。

 沖縄国際海洋博覧会の開催に伴う北部インフラ整備で「石川―名護間に高速道路建設/『一般有料』の構想/海洋博閣僚決定/東回りの公算大」との見出しで、北部縦貫高速道路の建設が決まったことに加え、ルートの予想も含めて紹介している。

 「科学的社会主義路線」への移行を決めた人民党について「来夏メドに合体へ/人民党と共産党、下部討議に付して決定」との見出しで、共産党との組織合体を見越したものであることを伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。