復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月23日「『基地』で対米交渉を」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月23日の琉球新報1面トップは、「大平・孫、肖会談 加速する日中正常化/首相も積極姿勢/初の政府間交渉で合意/本格的軌道へ」との見出しで、いよいよ日中国交正常化に向けた雰囲気の高まりを伝えている。

 この記事のそばには関連で「双方の意欲立証/政府間交渉、急ピッチに」との見出しで解説記事を掲載。さらには「〝周首相に直接要請〟/田中首相、佐々木氏に表明」と田中角栄首相が、中国訪問から帰った社会党の佐々木更三元委員長との会談内容を紹介している。ほかにも「社党幹部が肖氏と歓談」との記事も荊妻している。

 田中内閣で沖縄開発庁長官に就任した本名武氏の就任後初来県を伝える記事では「『基地』で対米交渉を/知事、本名長官に要請/海洋博関連事業に全力」との見出しで、応対した屋良朝苗知事の要請内容を紹介している。

 記事では本名長官の発言として「沖縄県作りへの姿勢は、基本的に県と同であり、話し合いを密にしながら解決に当たりたい。道路、港湾整備など海洋博の関連事業に全力を尽くすが、モノレール建設は維持管理面にやや問題があり、さらに検討したい」との言葉を掲載している。その上で「通貨の差損補償については、具体的な回答を差し控え、明らかにされなかった」と記している。

 屋良知事が要請後の会見で語った内容として「平和な島の建設のために、基地が支障をきたしている実情を説明し再開発、世界の平和指向の情勢などから、基地の整理縮小で強力な対米交渉を訴えた」と紹介。さらに「復帰処理の諸問題について、第一に対米請求権の補償要求は法律を作るなど責任体制を整えての特別な配慮」を要請した上で「沖縄の社会資本は他府県の50%しかなく、公共投融資など政府の強力な財政支出を求めたい」と本名長官に訴えたことも掲載している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。