復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月25日「四日市ぜんそく判決で県も条例で基準設定へ」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月25日の琉球新報1面トップは、「日米調整から日中、日ソへ/迫られる均衡外交/多極化の情勢まともに」との見出しで、日本政府の外交政策が米中ソ3極のバランスを取りながら進めていく必要に迫られていることを伝えている。関連記事として「田中首相、訪米へ準備着手/台湾問題、了解取りつけに自信」との見出しで、田中角栄首相とニクソン米大統領による日米首脳会談を控え、日本政府側の姿勢を紹介している。

 沖縄関連では、沖縄本島を直撃した台風7号について「けさ暴風圏から抜ける/那覇など〝目〟に」との見出しで報じている。また復帰後の米軍基地への土地提供をめぐり「見舞い金支給/強制使用発動後/島田次官示唆/注目される地主の出方」との見出しで、軍用地料と地主への協力謝金や見舞金の支払いのあり方について伝えている。

 また来県中の本名武沖縄開発庁長官の帰任前の会見を伝える記事では「『海洋博』を急げ/公共施設較差是正に努力」との見出しでその内容を紹介している。

 三重県の四日市ぜんそく公害訴訟で企業側に賠償支払いを命じ、患者側が全面勝訴する判決が出たことを受けて「産業政策を練り直す/政府『四日市判決』に衝撃」と政府の受け止めを伝えている。さらに沖縄県でも公害の未然防止対応を検討する動きについて「条例で基準設定へ/県も公害防止に全力投入」との見出しで伝えている。

 ◇  ◇  ◇

 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。