復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月28 日「自衛隊否定貫け/県労協幹事会」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月28日の琉球新報1面トップは、「振興開発計画の基本構想決定/10年後の人口105万/県民所得、全国水準の80%/県庁議」との見出しで、復帰後に初めてスタートする沖縄振興開発計画の県の基本構想について伝えている。記事は構想の位置づけとして「沖縄県をわが国の経済社会の国際社会化で南の玄関として位置づけ、目標年次の10年後の人口は105万人に、県民所得は全国水準の80%に置くこと、軍事基地は存在しないという前提に立っている」と詳述している。

 前日から屋良朝苗知事が自衛隊機の出動を要請したことなどについて協議していた県労協について「自衛隊否定貫け/31日、知事に抗議/〝専用電話拒否〟を支援」との方針を決めたことを紹介している。記事では「自衛隊については、県庁は自衛隊反対の立場から自衛隊はないものとして取り組み、行政末端まで反自衛隊行政を貫くべきであることを確認、31日に屋良朝知事に申し入れることになった」と伝えている。

 このほか、9月2日から始まる「第7回琉球古典芸能コンクール」の課題曲などの要項を発表する社告も掲載している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。