復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8 月3日「名護、甲子園へ」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年8月3日の琉球新報1面トップは、「一環会計予算案、県議会に送付/財源難、新味出せず/社会福祉教育関係、革新色を盛り込む/13件の特別会計予算案も」との見出しで、沖縄県の予算案の全容が明らかにされている。

 夏の甲子園に向けて「名護、甲子園へ/延長10回、大城衛がサヨナラ安打/全国高校野球南九州大会」との見出しで、名護高校が宮崎県の高鍋高校を破り甲子園行きの切符を手にしたことを紹介している。記事では「沖縄から実力で甲子園に出場するのは昭和37年の沖縄、同41年の興南についで6年ぶり3度目。名護はことし春のセンバツ大会についで連続出場」と伝えている。

 復帰に伴う自衛隊の沖縄配備が始まったが、防衛庁として「態勢整い次第委託/自衛隊員の募集業務」との見出しで沖縄県内での募集業務委託を始める予定であるとの記事を掲載している。記事では「本土における自衛隊員の募集業務は、地方自治法と自衛隊法に基づいて、市町村などの自治体に県を通じて委託しているが、沖縄の場合は、まだ行っていない」と記している。沖縄側の反応としては「県労協の仲吉議長らが屋良知事に対し『沖縄は世論調査などからみても反自衛隊感情の根強いことが明らかで本土地方自治体の募集業務拒否の基点となるためにも、県は明確に拒否の態度を打ち脱して欲しい』と要請、県側も『早晩与党とも話し合って、はっきりした態度を打ち出したい』としている」とも伝えている。

 ベトナム戦争関連では「米軍『大量破壊』の北爆/24時間で260回も」との見出しで激しい米軍の北爆を伝えている。関連では「解放勢力が猛砲撃/クアンチ周辺の政府軍に」との見出しで、南ベトナム政府軍に対抗した解放勢力の攻撃が激しくなっている様子も掲載している。

 

 ◇  ◇  ◇

 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。