復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8 月5日「『B52』全く触れず/県議会各派交渉会」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月5日の琉球新報1面トップは、「共同宣言で日中国交樹立へ/訪中に備え検討急ぐ/大使交換の意思確認か」との見出しで、日中国交正常化に向けた地固めが進んでいることを伝えている。関連記事では「早期訪中を促す/竹入委員長が首相と会談」と、訪中してきた公明党の竹入義勝委員長が田中角栄首相と会談して訪中報告をした様子を伝えている。さらに「台湾条項/日米首脳会談で詰め/三木国務相談/首相の腹づもりが必要」との見出しで、三木武夫国務相が閣議後会見で県会を披露している内容を紹介している。隣国の韓国の反応として「韓国は日中正常化歓迎/後宮大使が田中首相に説明/金首相の来日実現は困難に」と伝えている。

 米戦略爆撃機B52の嘉手納基地への飛来をめぐり地元から抗議の声が上がっている中で、県議会の動きとして「『B52』全く触れず/取り組みの弱さ露呈/各派交渉会」との見出しで紹介している。記事では「議会運営委員会の設置規定をめぐって与野党調整が難航したあおりを受けてB52問台についての話し合いは全く行われず、取り組み姿勢の弱さをさらけ出した」と指摘している。

 海洋博に伴う関連インフラ整備に関して「高速道路コースは一任/来沖の木村建設相が表明」との見出しで、木村武雄建設相の沖縄視察の様子を伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。