県議会議長などを務めた新里米吉さんが76歳で亡くなったことが4日に明らかになった。「オール沖縄」の結成に尽力し、9月の知事選に向けた活動にも携わっていた。県内バレーボールの普及や強化にも貢献し、監督として率いたチームが海邦国体で3位に入賞したこともある。関係者からは死を惜しむ声が上がった。
沖縄平和運動センター顧問の山城博治さん(69)は「最近まで第一線で活躍していた。大きな存在を失った」と悔やむ。山城さんが入院した時、見舞いに来た新里さんに「元気そうだな」と笑顔で声をかけられたという。「病気も病気でないような気がした」と思い出を語る。「違う立場の人も巻き込むような大きな人だった」と死を悼んだ。
新里さんの一つ後輩で、県バレーボール協会の玉城仁名誉会長(75)は「議員を引退してからはビーチバレーをまたやりたいと話していた。残念ながらかなわなかった」と惜しんだ。新里さんが平安座中バレー部時代に対戦し「大人のような体格で、体力や技術がずばぬけていて『神童』と呼ばれていた」と懐かしむ。高校教諭となり、バレー部監督として西原高を強豪へと押し上げた。「理論的に説明しながら選手を指導し、地域や職場からも信頼を得ていく人だった」と当時の姿を語った。
(金盛文香、大城三太)