「違う立場の人も巻き込む大きな人」、「神童」と呼ばれたバレー部時代…新里米吉さん死去、関係者から惜しむ声


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 県議会議長などを務めた新里米吉さんが76歳で亡くなったことが4日に明らかになった。「オール沖縄」の結成に尽力し、9月の知事選に向けた活動にも携わっていた。県内バレーボールの普及や強化にも貢献し、監督として率いたチームが海邦国体で3位に入賞したこともある。関係者からは死を惜しむ声が上がった。

 沖縄平和運動センター顧問の山城博治さん(69)は「最近まで第一線で活躍していた。大きな存在を失った」と悔やむ。山城さんが入院した時、見舞いに来た新里さんに「元気そうだな」と笑顔で声をかけられたという。「病気も病気でないような気がした」と思い出を語る。「違う立場の人も巻き込むような大きな人だった」と死を悼んだ。

新里米吉さん(当時議長・中央)の任期満了による政界引退を前に慰労に県議会を訪れた親族やうるま市与那城平安座の関係者ら=2020年6月22日、県議会

 新里さんの一つ後輩で、県バレーボール協会の玉城仁名誉会長(75)は「議員を引退してからはビーチバレーをまたやりたいと話していた。残念ながらかなわなかった」と惜しんだ。新里さんが平安座中バレー部時代に対戦し「大人のような体格で、体力や技術がずばぬけていて『神童』と呼ばれていた」と懐かしむ。高校教諭となり、バレー部監督として西原高を強豪へと押し上げた。「理論的に説明しながら選手を指導し、地域や職場からも信頼を得ていく人だった」と当時の姿を語った。
 (金盛文香、大城三太)