平和への信念貫きまっとうに 新里米吉さんを悼む 海勢頭豊・平和音楽家


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「月桃」の歌詞を刻んだ歌碑を除幕する新里米吉さん(左から2人目)と海勢頭豊さん(左端)=6月22日、西原運動公園内夕陽の広場

 多くの思い出がありすぎて、とても寂しく、残念に思う。かわいい後輩でもあり、ずっと誇りに思っていた。2年前には一緒に奄美へ旅行へ行き「また行こうな」と話していたところだった。平和への信念を持ち、最後までよく頑張ってくれた。感謝している。

 小学校の時から健康優良児で、それからずっと期待にたがわず、彼はまっとうな道を進んだ。同じ平安座島出身で、前原高校、琉球大学までずっと関係があった。高教組の委員長として多くの人に認められ、大田県政時には外郭団体の理事として業績を上げた。非常に頼もしい後輩だった。

 (海勢頭豊さんの代表曲)「月桃」の歌詞が刻まれた歌碑の建立は彼が実行委員長を引き受けてくれたからこそ、短期間で成功したと思う。彼が先に逝ったことは寂しいが、頑張らないといけないという思いだ。

 彼と私の自宅は西原町の坂田ハイツ内の隣近所で、番地も同じだった。彼が移り住んでくる際に「先輩、近くに住んでいいか」と聞かれたことを、懐かしく思い出される。選挙に出るようになってからは後援会長を務めたが、元から住んでいた西原町民と、(移り住んだ)寄留民との間に和合をもたらす存在でもあったと思う。

 とても歌が好きで、選挙運動の時は、あいさつは短時間だったが、歌う時間の方が長かったと思う。町平和音楽祭も中心となって企画し、私が「月桃」を歌ったこともあった。一歩一歩進む中で、たくさんの思い出ができていった。奥さまが亡くなった後、1人暮らしをしていて気に掛けていたが、亡くなったことはとても残念でならない。ご冥福を祈りたい。
 (平和音楽家、談)