復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8 月6日「『大胆な道路計画を』と木村建設相」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月6日の琉球新報1面トップは、「振興開発予算の編成急ぐ/海洋博も〝肉づけ〟/開発庁、今週から詰める/規模、現年度の25%増」との見出しで、沖縄開発庁の来年度予算の概算要求の方針について紹介している。時では「現年度の沖縄開発庁一括経常予算は670億円で、これは沖縄振興開発計画の初年度予算とみなされており、来年度は第2年次の予算となる。このため振興計画に沿って、道路、港湾の整備など沖縄経済の基盤整備―という視点から、大筋では現年度と同じ編成方針でいく。だが、ことしは海洋博関係の予算がこれに追加されることになる」と記している。

 沖縄を訪れている木村武雄建設相が名護市を視察した状況に関連して「『大胆な道路計画を』/木村建設相/地元に修正求む」との見出しで、名護市東江から宮里にいたる湾岸道路の建設について「将来のことを考え大胆に計画してほしい」と修正を促したことを伝えている。

 記事では宮里松正副知事が「市としては海岸道路を4車線にしたい計画だが、将来を考えて両ワキにグリーン・ベルトをつくり拡大したいとして県と市の間で話し合っている。名護は観光面でも北部の玄関であり、埋め立て地は海洋レジャー・センターをつくる予定だ」と説明したと記している。

 これに対し木村建設相は「将来のことを考えて、アッといわせるほどの大胆な計画を立てる方がよい。カネはいくらでも出す。みなさんといっしょになってやるつもりだから計画を練り直し、大規模にやってもらいたい」と述べたという。

 この年の11月5日に投開票が予定される那覇市長選について「那覇市長選で協議/自民、候補人選が難航」との見出しで、自民党内での公認候補選定が進んでいないことを伝えている。記事では「ことし行われる地方市町村長選挙は竹富、嘉手納、恩納、具志川、西原、那覇、浦添などの市町村」と紹介、自民党としては「公認は現役優先で行うことになった。だが、最大の焦点になっている那覇市長選挙は、なお検討を続けることにし、結論を出せなかった」と記している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。