復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8 月7日「機能果たさぬ『知事公室』」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月7日の琉球新報1面トップは、「機能果たさぬ『知事公室』/運用面で疑問視/政策立案にも支障」との見出しで、復帰して動き始めた沖縄県政の戦略部門の早期確立が求められるとの記事を掲載している。

 記事では「政策ブレーンを持たないといわれる屋良知事は、これまで、政策判断にあたって再三与党、革新団体とのミゾが問題視されてきたが、最近でも自衛隊機出動問題をはじめ、現年度予算案の大綱、施政方針決定の難渋などにみられるように、政策の欠如を指摘する向きが強い」と指摘している。その上で「行政体系状『知事公室』の機能が果たされていないことが最大の原因とされ、その組織的なあり方、運用面が疑問視されている」とも記している。

 さらに「知事公室の位置づけは、もともと『知事の政策立案部門として置き、知事部局全体の業務を掌握し、同時に政策の欠陥をチェックするかたわら、県民の要請を掌握して県政に反映させる』ことをねらいとしたものである。いわば、沖縄の特殊事情からたえず政策判断を迫られる問題が多い中で、屋良知事は〝孤独〟だとされているのだから、これを補佐する機関が必要だ。ところが、組織化された知事公室は、当初の意図をはずれ、全く機能していないのが実情。この政策ブレーンを置く構想は学者グループ、革新団体などの企図にもよるが、早くからこの実態には疑問が投げかけられ」ている現状にあるという。

 米戦略爆撃機B52の嘉手納基地飛来に地元で抗議の声が上がっている問題で「B52飛来など追及/きょう衆院沖特委で」と国政でも取り上げられる予定であることを紹介している。

 来沖中の木村武雄建設相の動向を伝える記事では「モノレール実現を/建設大臣、市町村会などと懇談」との見出しで、木村建設相が地元沖縄からモノレール建設などの要望を受けたことを伝えている。建設相側から回答はなかったという。

 原水爆禁止沖縄県協議会(原水協)が沖縄の基地調査を始めたことを伝える記事では「強化される機能/原水協/基地総点検で実態究明」との見出しで掲載している。

 このほか発足して1カ月がたった田中内閣の総括の記事も掲載している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。