【論考】痛み越え、万感の思い 上原美春さん「Unarmed」絶望を救ったおばあの言葉 作家・大城貞俊さん


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大城 貞俊

 読む者に激しい痛みと勇気を届ける詩、それが「Unarmed」(=武器を置く)だ。(以下「武器を置く」と表記する)。77年前の沖縄戦では多くの県民が犠牲になった。死者たちの無念の言葉を拾い上げる。それが平和を作ることに繋がる。そう信じて私たちは土地の記憶を紡いできた。同時に生者の言葉にもまた力強い言葉があるのだという感慨を、私は今、忸怩たる思いで振り返っている。

 この詩を書いたのは宮古島市立西辺中学校3年生の上原美春さん。彼女は昨年度「沖縄全戦没者追悼式」で平和の詩「みるく世の謳」を朗読した。「武器を置く」は一年後の詩だ。

 「みるく世の謳(うた)」は、多くの人々を感動させた。「六月の蒼天」に「みるく世」を願ったメッセージは、ピュアで真っ直ぐな言葉が印象的だった。

 「武器を置く」は今年の宮古島市の「戦没者追悼式・平和祈念式」で朗読された。だが私と同じように多くの人々がこの詩に触れる機会を失していたのではないか。近々に触れ得た私は驚き、痛々しい少女の心に触れ多くのことを考えさせられた。昨年度の「みるく世の謳」の朗読後、彼女は多くの人々から賞賛と拍手を得たが、他方で誹謗や中傷に苦しめられていたのだ。詩の中で彼女は次のように記している。

 「私の心を刺したのは/ナイフのような言葉の数々/悔しくて悲しくて痛くて痛くて」「偽善者だ/お前が戦争に行けばいい/お前が死んでしまえばいい/そんなことを言われた」のだ。

 しかし、彼女は負けなかった。様々な感情と沈黙を経て言葉を紡ぎ出したのだ。「武器を置く」には、痛みを乗り越えた彼女の万感の思いが込められている。他者の痛みと悲しみを自分の心に住まわせた後の言葉が紡がれたのだ。絶望の中で出会ったおばあの言葉「武器を置く」は、彼女の希望の言葉になる。彼女は自分の言葉を立ち上がらせ勇気を手に入れていく。

「私は弱い/沢山傷ついて/傷つけようと思った/何度も逃げて/立ち向かうことを放棄した/それでも武器を置きたい/傷ついたから/人の痛みが分かるから/何リットルも涙を流したから/武器を置くことを/私の強さと呼びたい」

 詩の言葉は悲しみの極地から放たれる言葉こそが強いのだ。きりきりと絞った思考の先に放たれる言葉、それは自分の身体をもブーメランとする言葉だ。

 「武器を置く」は沖縄戦を悼むだけでなく、平和を願う普遍的な高域に達した詩のように思われる。ここに到達した彼女の頑張りを賞賛したい。私たちこそが励まされる詩だ。

 「~すべき」は高慢な大人の思想だろう。揺れ動くことこそが人間の常態だ。戦争も平和も自明なこととせず考え続けること。このプロセスの中にこそ誇りとする人生がある。作者は臆することなく自らの営為を讃えていい。私たちは、みんな「今、ここに」生きているのだから。
 (作家)

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 おおしろ・さだとし 1949年大宜味村生まれ、詩人、作家。山之口貘賞、沖縄市戯曲大賞など受賞。著書に小説「椎の川」、評論集「多様性と再生力―沖縄戦後小説の現在と可能性」など。近著に短篇集「この村で」、「椎の川」の続編「蛍の川」。


【作品全文】上原美春さん「Unarmed」初代ひろしまアワード受賞 「平和の詩」朗読後の中傷…紡いだ「武器を置く」