ウークイの夜も響く騒音、夜間訓練…米軍ヘリ沖国大墜落きょう18年 「ここは本当に日本なのか」当時現場に駆けつけた男性の思い


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吹き飛んだ部品の一部によって、破壊された民家の生け垣=2004年8月13日、宜野湾市宜野湾(宮城政一さん撮影)
墜落現場から近い民家前にあった、ヘリの一部と見られる部品

 【宜野湾】米軍普天間飛行場を離陸したCH53D大型輸送ヘリコプターが、宜野湾市の沖縄国際大に墜落・炎上した事故から13日で18年を迎えた。同飛行場では旧盆の10~12日の間も、騒音防止協定で飛行が制限される午後10時以降の夜間訓練があった。10日には午後10時以降に上大謝名で92.2デシベル、野嵩で84.5デシベル、新城で80.3デシベルが確認された。

ヘリ墜落現場に残る焼け焦げたアカギの木を見ながら当時の様子を語る宮城政一さん=11日、宜野湾市の沖縄国際大学

 2004年8月13日午後2時半ごろ、用事で那覇市まで出掛けていた当時60歳の宮城政一さん(78)の携帯電話が鳴った。宜野湾市宜野湾の自宅から約250メートルの距離にある沖縄国際大学に、米軍ヘリが墜落したという友人からの知らせだった。「ついに事故が…」。普段から上空を飛び交う米軍機を目にしており、安全性に懸念があった。急いで引き返す最中、高校生の頃に沖国大と同じ字宜野湾で起きた米軍ヘリ墜落事故を思い出していた。

 現場に駆け付けると、すでに米兵が規制線を張っていた。家に戻り取ってきたカメラで現状を収めようとしたが、米兵に制止され、少し離れた高い場所に移動した。そこにもヘリの部品の一部が飛んできていた。その部品で破壊されたと思われる民家の生け垣を目にした。

 県警も入れず、たくさんの米兵が現場を取り囲む様子を前に「ここは本当に日本なのか」と怒りが込み上げてきた。

 ヘリ墜落事故が起きた字宜野湾では、1960年1月にも民家からわずか15メートルの芋畑に米海軍のヘリが突っ込んだ。宮城さんは当時も現場に駆け付けた。近距離で起きた事故に恐怖を感じたことを覚えている。

 72年12月には米軍の観測機の燃料タンクが沖国大の建設現場に落下する事故もあった。「字宜野湾だけで3回も事故がある。それなのにその要因の基地はいまだにすぐそこにあって、何も変わっていない」と苦々しい表情を浮かべる。

 沖国大の事故から月日が流れても、安心安全な空はいまだ実感していない。取材中も米軍機の重低音が周囲を包んだ。「ほら、また飛んでいる。こんな危険なものはどこにあってもいけないんだよ。『命どぅ宝』なんだから」。かみしめるように語った。(新垣若菜)