復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8月19日「県開発計画審、基地のとらえ方で難航」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月19日の琉球新報1面トップは、「基地周辺整備法による補償、大里など8市村は拒否/〝乗ぜられる恐れ〟/豊見城、那覇など被害への補償は当然/注目される県の出方」との見出しで、基地のある35市町村のうち那覇など26市町村は基地被害と基地周辺整備法での公民館などの建設を要求していることを明らかにしている。大里村など8市村は、補償要求が「防衛施設庁の軍ぶ工作に乗ぜられる結果を招く」と政治的判断から要求を出していないという。そのそでには「那覇などに排水施設/基地周辺整備事業を急ぐ/防衛施設庁」との見出しで、河川改修や排水施設整備などが予定されていることを伝えている。

 「月内策定困難に/基地のとらえ方などで難航/開発計画審」との見出しで、沖縄県振興開発計画審査会が開発計画の基本方針の疑問点などの議論の様子を紹介している。記事では、各専門部の報告の中で「軍用地の返還を強調、現在の軍用地がとくに中部一帯で広域的都市圏の形成を阻害していることを指摘するとともに、軍用地跡地の開発計画を実現するための住宅、公園、工業団地など平和経済発展への土地利用に転用すべきだと打ち出した」と伝えている。それを受けて全体会議では「計画目標年次の10年後には軍事基地は存在しないという前提で計画策定を進めているわけだが、目標を達成するまでの間、現実にある基地のとらえ方をどうするかという疑問点が出された」という。たとえば、として「基地公害に対する学校教育環境の問題で、嘉手納村などで爆音防止の防音教室を作れば基地容認につながって開発計画の目標と矛盾することになる。といって基地公害への対処策を開発計画に取り上げないことは県民福祉というねらいをはずすことになりはしないかといったものなどだ」と懸念を紹介している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。