復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8月23日「沖縄県市長会、軍用地が公共福祉を阻害」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月23日の琉球新報1面トップは、「軍用地が公共福祉を阻害/沖縄市長会、自衛官募集事務は拒否/『強制収用』認めぬ/保守系市長、総会をボイコット」との見出しで、那覇と浦添、宜野湾、コザ、名護、平良の6市が出席した市長会の臨時総会の様子を伝えている。関連で、自衛隊募集業務拒否について「募集業務拒否は無謀/自民、法を無視するものだ」と自民党県連が革新市町村会の方針を批判していると紹介している。

 記事では、出席した6市長が「県民は沖縄で国土防衛の犠牲にされ、戦争の残酷さと悲惨さを身をもって体験、戦後は軍事支配の苦しい生活体験によって、軍隊の体質をいやというほど知らされた。県民の復帰要求は、軍事基地を撤去し、沖縄の土地を平和産業と都市開発のために活用することにあった。だが県民の要求とはウラハラに米軍基地の存続に加えて自衛隊が配備され、沖縄基地はさらに強化の方向をたどっているだけに不安は増大する一方だ」との意見を出したと伝えている。

 政府が沖縄の軍用地主へ見舞金35億円のうち10億円を再契約協力謝金として支払うことを決めたことについて「『協力謝金』で差別/民主団体が一斉に反発」との見出しで報じている。反発する反戦時主や民主団体は「協力金というエサで再契約をスムーズに行なおうと意図したもので契約拒否時主に対する差別だ」と声を上げている。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。