復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8月24日「パイン企業20社を13社に統合」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月24日の琉球新報1面トップは、「貸与武器の修理補修は検討/国内法との摩擦避ける/大平外相、安保運用で答弁」との見出しで、大平正芳外相が、在日米軍基地でベトナムの政権に貸与する武器を修理補給できるか日本政府として検討する考えを国会で明らかにしたことを伝えている。記事中では「沖縄の米軍基地内では、第3国の武器の修理が行われている疑いもあるだけに今後の政府の出方が注目される」と記している。

 復帰対策の一つとして「パイン企業、20社を13社に統合/来年中には6社に」との見出しで、パイナップル企業の統合について掲載している。記事では「パイン企業は沖縄本島に10社12工場、八重山10社11工場の計20社23工場が乱立していたことからその統合、合併が急務とされていた。このため旧琉球政府は復帰までに本島2社、八重山2社の計4社に統合することを目標に業者に指導に当たっていた。ところが会社の中には膨大な赤字をかかえているところや赤字のないところがあるなど各社の資産状態が違っていることから利害、思惑がからんでこの案は受け入れられなかった」と記している。

 パイン企業の統廃合についてはさらに「業界は独自に8社案(本島4社、八重山4社)を提起していたが、旧琉球政府の4社案と平行線をたどったまま、企業合併は宙に浮いた格好で復帰を迎えてしまった」と説明している。

 このほか、米軍相模原補給敞からの米軍戦車移動に対し市民らが抗議、地元自治体が市道の通行を不許可とした、いわゆる「戦車闘争」に関連して「戦車輸送メド立たず」との見出しで、大平外相の国会答弁を紹介している。記事では「米軍の車両輸送については、車両制限令に基づく建設省令に自衛隊並みの特例を設ける方向で外務、建設両省で検討が行われているが、この日の外相発言は、今度の問題の解決手段としては、法令の改正は行わないが、将来の問題については再検討の含みを持たしたものとみられる」と報じている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。