復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8月26日「北部縦貫道、東コースに本決まり/知事が決断」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月26日の琉球新報1面トップは、「北部縦貫道路、東コースに本決まり/海洋博に間に合わせ着工/石川・金武・宜野座村、用地取得には協力/知事が決断、政府に連絡」との見出しで、海洋博開催を前にした北部を縦貫する道路整備について屋良朝苗知事がコースを決定したとの記事を掲げている。

 関連で、環境保全や工期の課題も波乱だ中での決断について「コース決定の背景」との解説記事も掲載している。その中で当初の県側の想定コースは西側だったといい「県庁側では①距離が短い②工事、用地取得が容易③建設工事による赤土流出など環境汚染は砂防ダムで防止できる―として西コースを優先的に考えていた。一方、建設省も西コースを希望『環境庁とも相談して県知事が決定すべきだ』(木村建設大臣)というように環境庁との正面衝突を避けて通った印象が強い」と政府間での思惑も紹介。これに対して「だが県庁側は『西コースに建設しても環境を破壊しないですむ方法を検討、自然保護には自信はあるが、環境庁を説得するにはかなりの時間が必要だけに、環境庁説得作業を断念、東コースに決めた』としている。つまり環境庁と公害問題を論議してコース決定が遅れると、海洋博に間に合わせて建設することは不可能とみた県庁は、環境庁に一言の相談もせずに断念して東コースを決めたのが実情」と解説している。

 さらに隣の記事では「用地が最大の難点/コース変更/環境庁は歓迎、建設省は慎重」と政府サイドの反応も紹介している。このほか「海洋博準備金制度を新設/通産省/公害、列島改造に特別税制」との関連記事も掲載している。

 米軍基地関連で「横田基地は安保違反/東京都、明け渡し訴訟へ」との見出しで、都有地の継続使用拒否した美濃部都政の次の一手を紹介している。

 このほか「オリンピックきょう開幕/ミュンヘン/124カ国、選手1万人が参加」と西ドイツのミュンヘン五輪開催も伝えている。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。