復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8月25日「県公社、住宅難解消に本腰/初年度で900戸」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月25日の琉球新報1面トップは、「バンドン精神で復交/相互に武力行使せず/自民正常化協、『日中』で5基本原則/台湾の扱いで配慮」との見出しで、自民党が日中国交正常化を速やかに進めるべきだとの方針を確認したと伝え、基本原則案全文ととも掲載している。

 ニュースバリュー2番手の左肩には「住宅難解消に本腰/県住宅公社/初年度で900戸/用地、66万平方メートル確保」との見出しで、県の住宅政策を担う機関として再スタートを切った住宅供給公社の事業計画を紹介している。5カ年計画で賃貸住宅と分譲住宅を約70万戸建設する方針という。

 県議会総務委員会の審議の様子を伝える記事では「公害、厳しく対処/喜久川企画部長、防止条例修正したい」との見出しで、公害対策について公害防止条例の厳格化の考えを明らかにしたことを伝えている。これまで県は、四日市ぜんそく公害問題を受けて、公害対策の基準などを見直す考えを示していた。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。