【全文】玉城デニー候補の第一声 沖縄知事選告示


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
出発式で、第一声を上げる玉城デニー候補=25日午前10時14分、うるま市屋慶名(小川昌宏撮影)

誰一人取り残さない

 はいさいぐすーよー、ちゅーがなびら。皆さまおはようございます。ご近所の皆さま、おはようございます。

 本日は、私が幼い頃から大変お世話になりましたここ与勝の海の先、亡くなられた新里米吉前沖縄県議会議長のふるさとの平安座島をバックにして、ふるさとから、県知事選挙2期目の第一声を発することができることに本当に心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。

 母子家庭で生まれ、2歳から10歳まで里親さんの家庭で大切に、愛情深く育てていただきました。近くの与那城小学校に通い、学校が終わったらこの屋慶名の海岸で、カニを捕ったり、ミーバイを釣ったり、そのような幼い時代、たくさんの友達のやんちゃな、しかしたくましい少年時代を過ごさせていただきました。

 この与那城勝連地域は非常にスポーツが盛んで、高校に上がるとこの与勝地域で活躍をした選手の活躍ぶりが新聞に載ったり、テレビで紹介されると、小さい頃から本当にこの地域に、深く深く憧れを感じたものでした。

 先ほど実は、勝連グスクに上がらせていただいて、グスクの御嶽にも、これからも世のため人のために仕事をさせてくださいと手を合わせてまいりました。幼い頃から勝連グスクに登って360度を見渡しながら、この豊かなふるさとの歴史、伝統、文化をずっと大事にしたいなという思いが、私の現在にもつながっていると思います。

 2018年9月、翁長雄志県知事の急逝に伴い、その時に衆議院議員を務めさせていただいていた私に急きょ、多くの県民の皆さんからの後押しを受け、知事選への出馬をご要請いただきました。私が政治の師と仰いでおります小沢一郎衆議院議員をはじめ、多くの方々にも相談を申し上げ、一番には家族の理解を得ながら、県知事選に出馬しました。県民の皆さまから力強い付託をいただき、4年間、誰一人取り残さない、沖縄らしい優しい社会、誇りある豊かな沖縄、イデオロギーよりアイデンティティー、その理念の下、県知事として責任あるその判断を基にした私の公約の実現に向けて必死に取り組んでまいりました。

 4年前に掲げた公約は291項目。県庁職員の賢明な働きによって、その291項目のうち287項目の公約が現に計画として予算がつけられ、今県民のための県政発展と県民を支える県庁の政策として実行されています。

 翁長知事が子どもの貧困対策を県政の重要政策と位置付け、5年間で30億円の基金を創出し、子どもたちの貧困問題対策にしっかりと取り組んでこられました。私の県政になって、この令和4年からはさらに60億に倍増させていただき、10年間、しっかりと息の長い子どもたちの貧困対策のために緊急的に対応し、そしてその対応策をしっかりと続けていくということを、この計画の中にも盛り込ませていただきました。

 そして子どもの貧困だけではなく、どの子も健やかに育ってもらうよう、子ども政策には一段と力を入れさせていただきました。昨年令和3年、41全ての市町村の担当者と県の担当部局の職員が協議を重ね、市町村の協力も得て、仲井真知事の時には3歳までの通院費窓口の無料化が、翁長雄志知事で、小学校に上がる前まで引き上げていただき、そして令和4年4月からは私の県政で中学卒業まで通院費窓口支払いのない無償化が実現できました。就学支援も拡充をし、ひとり親世帯、非課税世帯の子どもたちは中学生、高校生のバス通学の無料化も実現いたしました。

 これからは子ども、若者、女性の施策をさらに充実させるために18歳で成人年齢を迎えた子どもたちが、そこから社会に出る、あるいは大学に進んでそこから社会人になるまでの18歳から20代半ばまでのファーストライフステージに、しっかりと支援の目を向けていきたい。そして女性が子育てしやすい、働きやすい環境を作り、女性自身が自分のキャリアアップを実現していけるような、そういう仕組みを民間企業とともに、行政の公的な責任としてしっかりと結んでまいります。

 そして、企業に就職をして社会人になってからも、まず大学卒業するために学んできた奨学金の返済に困っている若い人たちを支援する企業には、県からもその人材を育成する企業に対しても、しっかりとした支援も行ってまいります。

 社会に出る時に、貧困の状態から若い人たちを社会に送り出すことがないように、貧困の連鎖を断ち切り、沖縄県民が全ての人生のステージにおいてしっかりと支援と協力の体制ができるようさらに力強く、2期目に向けての政策を充実させてまいります。どうぞご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

 そして、米軍基地問題です。翁長雄志知事が命をかけて普天間の危険性除去、辺野古の新基地建設反対を貫いたその遺志を、ぶれることなく自分の信念のど真ん中に置いて、辺野古に新しい基地を造らせない、普天間基地の一日も早い危険性除去と閉鎖返還を必ず実現させる。その思いでゲート前で頑張ってらっしゃる方々、あるいはゲート前には通えないけれども、ずっと心の中でエールを送り、全国からそのための活動の寄付などをお寄せいただいた心ある方々と私も心をつないで、これからもぶれることなく、辺野古に新基地を造らせない、そのことを全身全霊で取り組んでまいります。

 これまでにも、基地が返還された跡地は那覇新都心、小禄金城、北谷町ハンビー、最近では北中城の屋宜原ライカムなど、人口が集中する地域の地域をいち早く返還させて、市町村と県政が広域行政として、県土の発展のために協力していける姿勢こそが本当の住民自治であり、地方自治の姿です。

 しかし、その憲法の理念にもあるような地方自治を阻害する国のやり方は、沖縄県民も絶対に認めることができないでしょうし、私も断じてそれを許すわけにはまいりません。辺野古の新基地建設の問題が、私が昨年11月に変更承認申請を不承認とした、その法律にのっとった正しい取り組みを多くの県民の皆さんも支えていただいています。私も取れる手だては、あらゆる手だてを取らせていただいて、県民の心とともに平和で豊かな、基地のない沖縄をいつか実現していくために、未来の子や孫たちに、青空の下、伸び伸びとと、ヘリが飛んできてシェルターに逃げ込むことがないような、そういう沖縄を必ず実現してまいります。どうかお力添えをよろしくお願いいたします。

 2期目に向けて、この地元から、与那城勝連地域からこの第一声を発することができたことを本当に心から感謝をしています。私は多くの皆さんに、支えられ、成長してきたと思います。1期4年間も、その県民のため、ふるさとのため、ぶれることなく全身全霊で取り組んできたその思いと行動を2期目に向けて、今日の選挙戦から、9月11日のその審判が下る日まで堂々と、そしてしっかりと地に足をつけて私の政策を訴えてまいります。

 誰一人取り残さない優しい沖縄の社会を実現する、新時代沖縄のさらに先へ、子どもたち、若者、女性の笑顔が輝くふるさと沖縄づくりのために正々堂々と訴えてまいります。どうぞ皆さまのお力添えをよろしくお願いいたします。

 ぐすーよー、まじゅんともどもに、ちばてぃいちゃびならなーやーさい、まけてぃーねーびらんどー。

(うるま市屋慶名)