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指導者として新たな夢へ 元プロバスケ選手・B1滋賀レイクスU15 ヘッドコーチ・根間洋一<ブレークスルー>


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長嶺中バスケットボール部を指導する根間洋一育成ディレクターU15ヘッドコーチ(前列左)=8月18日、豊見城市の同校(喜瀨守昭撮影)

 自らの成功体験を土台に、元プロバスケットボール選手の根間洋一さん(43)が指導者としてプロ選手育成という新たな目標に向かって奮闘している。2008年に現役を引退後、トップチームのアシスタントコーチなどを経験。現在はプロバスケBリーグ1部の滋賀レイクスU15のヘッドコーチで育成ディレクターを務める。「視野が広がった。この道に進んで本当に良かったと思う」と目を輝かせた。

 北谷高から法政大に進み、卒業後の2002年、の横浜ギガキャッツに入団した。国内トップ選手となり、bjリーグ時代は移籍した富山グラウジーズで主将も任された。引退後は19年まで4球団でアシスタントコーチ、群馬クレインサンダーズではヘッドコーチを務めるなど指導者としてのキャリアも積んできた。

■原点

 「全国制覇」。豊見城市立長嶺中学校の校庭に立つ石碑は、全国中学校体育大会優勝を成し遂げた同校男子バスケ部の快挙を語り継ぐ。在学中の1994年に仲間たちと成し遂げた。根間さんは専門雑誌の表紙も飾る活躍ぶりだった。

 当時から長身でチームを引っ張ったが「他にも能力の高い選手が多かった」。しかし、全国一までたどり着いた一因に「(当時の)顧問に当事者意識を育ませてもらったことにある」と振り返る。

 練習法は、その日その日のメニューをもらい、自分たちで取り組む自主性を重んじたトレーニングだった。「やらされている感じはなかった。自分たちでやっている分、めちゃくちゃ楽しくて、自分たちで考えることの大切さを学んだ」という。さらには九州大会で一度敗れ、チームに欠けていた「謙虚さ」を知り、当事者意識が高まった。

 指導者となった今、技術面を学ぶ以上に「当時そういうアプローチを受けたことは個人的に本当に良かった」と大きな財産になった。

 

インタビューに答える根間洋一さん=8月18日、豊見城市の長嶺中学校(喜瀨守昭撮影)

■試行錯誤

 トップ選手の指導から子どもたちの育成に移ったのは2019年のこと。17年からアシスタントコーチで所属した滋賀レイクスの方針の下、ユースチームとスクール全般を統括する現職に起用された。カルチャーの土台と柱をつくるため、チームが掲げる育成組織を充実させる。見据えるのは26年に予定される新リーグの始動だ。

 そのために必要なことが「地域としてバスケの文化をつくること。それを手掛ける1人として当事者意識を持つことになった」と引き受けた。

 本格的な子どもたちの指導は今でも戸惑うことは多い。「やはりトップ選手とは全く異なる。コミュニケーションや技術を伝える方法など一つ一つ違う。マネジメント能力というのを学ばないといけない」と試行錯誤が続いている。

 ただ基本的な育成の在り方は変わらない。「いくらプロになりたいと言っても誰かに頼っては駄目。上達したいということに自分で責任を持つこと。そこに気付きを与えることを大切にしたい」と信念を掲げる。

 沖縄アリーナや琉球ゴールデンキングスなどでリーグ屈指の盛り上がりを見せる地元沖縄の動きも刺激になっている。「新リーグに向けて今僕たちが手掛ける育成選手からレイクスのユニホームを着る人を輩出することが身近な目標」と力を込めた。
 

 (謝花史哲)