復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月2日「海洋博道路、基地内直進も」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月2日の琉球新報1面トップは、「沖縄国体、自衛隊に協力求めず/宮里副知事/行事計画から除外/吹奏など一切断る」との見出しで、宮里松正副知事が会見で沖縄国体の関連行事に自衛隊を関与させない考えを明らかにしたことを掲載している。関連記事では「弾薬処理などはやむを得ぬ」とも伝えている。別の関連記事では「自衛艦拒否に防衛庁ショック」との見出しで石垣島と平良港での海自艦寄港拒否の波紋も掲載している。

 これとは別に「海洋博道路、基地内直進も/建設相、知人い対米交渉示唆」との見出しで、状況中の屋良朝苗知事に木村武雄建設相が応答した内容について紹介している。記事では「木村建設相、高橋同道路局長は①建設省としては、高速道路が東回りに決定したことで地盤などの関係から金武のキャンプ・ハンセン内を直進するコースを考え、対米交渉の用意もある②県、地元が要求している国道331号線の開放は十分理解できる。日米合同委員会を通じて強力な対米折衝を行ないたい―と、二つの道路問題でいずれも積極的な姿勢を示した」と記している。

 国道331号の米軍道路使用の問題に関連して「軍用道路の返還を/建設相、米代理大使に要請」との見出しで、那覇市小禄の返還地内の国道がまだ米軍道路として住民を排除している問題で米側が協力を約束したことを伝えている。

 神奈川の米軍相模原補給敞からの米装甲車移動の許可を巡る問題で「兵員輸送車通行にOK/建設省、国道に限って許可」との見出しで、政府の姿勢を紹介している。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。