復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月4日「米軍人軍属に国内法を守らせる」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月4日の琉球新報1面トップは、「国内法を守らせる/県、在沖米軍基地の総点検へ/兵器輸送もチェック/法制面での検討急ぐ」との見出しで、復帰前は琉球政府の法が米軍に及ばず、弊害があったことを踏まえて沖縄県が「在沖米軍の軍人軍属に国内法を順守させる」ために点検作業に入ったことを伝えている。

 記事では「米施政権下にあった復帰以前は琉球政府の法域が米軍に及ばず、防疫、職場の安全基準など多くの規制、基準が軍民別個の状態が定められてきた。そのため治安をはじめ各面で混乱や弊害を生じてきた」と指摘。その上で「とくに本土でも米軍戦車の修理とからんで問題になった〝ベトナムの土〟持ち込み問題や兵器、弾薬類輸送での国、県、市町村道路使用など法制面を整理することで県、市町村段階でのチェックが可能になると見られ、同点検が進めば基地の維持管理面でも米軍にダメージを与えることになろう」と見越している。

 具体的には、安保と国内法の関係について宮里松正副知事の発言として「沖縄は復帰後も核、毒ガス、化学兵器の不安、疑惑が消えておらず、国内法との関連で米軍に対し保管状況を報告させ、政府、県によるこれら兵器の有無の確認、点検ができるようなシステムが確立されねばならない」と紹介している。

 那覇空港への航空自衛隊戦闘機配備に関連して「P3居すわりにあせり/管制誘導協定にも支障/運輸省・防衛庁」との見出しで、日米間で約束されている那覇空港の米海軍P3対潜哨戒機の撤去について先行きが見えないことに、防衛庁と運輸省に戸惑いが出ていることを紹介している。記事では、那覇空港へのF104J戦闘機配備に備えて「防衛庁は(中略)那覇空港から撤去されることになっている米海軍の第46対潜しょう戒機9機(1スコードロン)や第5艦隊混成飛行体の航空機15機などの取り扱いをどうするかに頭を痛めている」と記している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。