復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月6日「パレスチナ・ゲリラ、ミュンヘン五輪村を襲撃」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月6日の琉球新報1面トップは、「ミュンヘン五輪村を襲撃、パレスチナ・ゲリラ/イスラエル選手団団員、2人射殺、9人を人質/IOC組織委、競技一時中止を決定」との見出しで、ミュンヘン五輪でのテロ事件について大きく伝えている。関連記事には「エジプト選手団が大会引き揚げ」や「『暗黒の9月』組織が実行」、「釈放要求のリストに岡本も」などの見出しで実行組織や五輪への影響などを報じている。

 米軍への給水契約問題について「復帰前契約は無効/水道協会、米軍の交渉決裂」との見出しで、沖縄水道協会が在沖米軍の水道担当官と会い、米軍側の契約書は無効として当該自治体と給水契約を結ぶことを求めたとの記事を掲載している。これに対して米側の担当官は「個人的見解としては裁判で決着をつける以外にない」と反論して協会の申し入れを拒否したという。

 沖縄海洋博覧会に向けた用地確保を巡って「買収、早くも暗唱に/用地価格、地主は3.5倍要求」との見出しで、県が示していた買収価格に対して地主会が3.5倍に当たる要求額を回答したことを紹介している。担当の県の海洋協力局の野島武盛局長は「とんでもない値段だ。これでは国際通りの地価と同じだ。話し合いの余地はない」と一蹴したと伝えている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。