復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月7日「復帰記念植樹祭、天皇ご招待せず」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月7日の琉球新報1面トップは、「五輪村ゲリラ事件/ぬぐい切れぬ汚点残す/競技は1日延長して再開/半旗が翻る中で/イスラエルは不参加」との見出しで、テロ事件を受けて中止か続行かで揺れていたミュンヘン五輪の開催継続が決まったことを伝えている。関連で「悲痛、重苦しい追悼式」との見出しで、テロ犠牲者の追悼式の様子を紹介している。

 11月26日に糸満市で予定される復帰記念植樹祭をめぐり「天皇ご招待せず/復帰記念植樹祭/行事日程など決まる」との見出しで、招待者などの決定を掲載している。記事では「他府県で行われる植樹祭には天皇陛下のご出席が慣例となっており、事実上、同陛下ご出席と植樹祭は不離一体となっている。ところが、太平洋戦争の激戦地となり多くの犠牲者を出した沖縄は、同陛下に対する特殊な住民感情があり、植樹祭計画が発表された琉球政府時代に『お招きすべきかどうか』で県民の論議が沸いた。このような中で、天皇陛下のご出席問題についてどのような結論が出るか注目されたが、今回の招待者氏名の決定で、お招きしないことが本決まりした」と伝えている。

 在日朝鮮人総連合会沖縄県本部の結成総会を伝える記事では「祖国統一に新たな決意/朝鮮総連/沖縄県本部を結成」との見出しを掲げている。

 このほか「23日ごろ訪中/田中訪中日程固まる」との見出しで、日中国交正常化に向けた日程を伝えている。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。