復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月8日「新全総の沖縄構想最終案、那覇圏の整備急務」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月8日の琉球新報1面トップは、「開発の基本方向示す/経企庁が新全総の沖縄構想最終案/那覇圏の整備急務/自然と文化、保全を明確に」との見出しで、国の新全国総合開発計画の中に沖縄開発振興も盛り込む方針で進められてきた最終案について紹介している。記事では「沖縄県当局との調整で一番問題になった基地の取り扱いについては『特に那覇周辺の基地は、沖縄開発の今後のカギをにぎり、大きな障害となると思われるので、早期整備が必要』と表現をぼかしているが、全体としては、環境保全が大きな世論になっていることから、他ブロックの構想に比べて自然保護の風景をかなり強く打ち出したのが注目される」と記している。

 このほか田中角栄首相の訪中に関する発表記事や、米下院歳出委員会での米国防長官の発言について「インド洋で日本の軍事的な役割りも」との見出しで伝えている。ほかに「企業公害めぐり対立/振興開発審議会、案作成段階で調整へ」や「3万7千人撤退へ/駐南ベ韓国軍、12月から段階的実施」、「南北に等距離政策を/北挑戦副首相/統一の妨害にならない」との記事も掲載している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。