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放送制度改革、自由と「見る権利」の確保を 転機迎えるNHKと民放<山田健太のメディア時評>


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠
県内のテレビ各局のニュース番組=10日

 日本の放送の大きな特徴は、NHK・公共放送と民放・商業放送の二元並立体制だ。この内実は、受信料収入のみで賄われるNHKと、番組広告収入を主たる収入源とする民放であることと、前者が全国放送であるのに対し、後者は県域(圏域)放送であることだ。さらにテレビにせよラジオにせよ、放送には国の免許が必要で総務省にその権限がある。政府はその裁量権を最大限活用して、県内における民放の数を市場のマーケット力に合わせてきた。
 近年、インターネットの隆盛の中で、相対的に放送自体の訴求力が弱まっているとか、とりわけ民放は広告収入が今後、減少傾向にあるのではないかといった不安要素を抱えており、政府はそれらを見越して放送の枠組みを変えることを検討してきている。ここでは、その中身から放送の未来を考えてみたい。

 独立、多様、地域性

 日本において放送の自由をはかるキーワードは「独立性・多様性(多元性)・地域性」だ。これを制度的に支えているのがマスコミ集中排除原則で、同一地域において新聞・テレビ・ラジオを同時に所有してはいけないなどの縛りがかかっていて、地域におけるメディアを特定者が独占することを防止している。あるいは、県をまたいで放送局を複数所有することを厳しく禁止していた時代もあった。
 しかし当初から、新聞社が放送局を立ち上げた経緯などもあって、同一エリアで株式の持ち合いや役員の兼任が顕著であった。さらに近年では、グループ化や持ち株会社化を認める中で、複数局を所有することを容認したり、条件がそろえば隣接県の放送局を所有することも認められるようになっている。ラジオにおいては事実上、こうした県境規制はなくなってもいる。
 周波数が限定されていて局数が政府判断で押さえられている放送メディアにおいては、特定者がその電波を独占することを禁止し、またローカリティーを発揮しやすいように、それぞれの県ごとに違った放送局が存在することが期待されている。さらにその県内においては、活字メディアにおいて県紙が寡占的なシェアを占めている日本的な事情を鑑み、地域内の情報の独占が起きないように新聞・放送の経営の分離をめざしてきたわけだ。
 県内に複数の放送局があって切磋琢磨(せっさたくま)し、また活字と放送メディアがそれぞれに独立していて、さらに地域ごとに別の経営体であることで、独立性・多様性・地域性が担保されるということだ。しかし今日、インターネットが登場することによって、前提になる情報環境が変わることで、これら3要件を守るとしても、従来の規制が必要なのかが問われることになっている。これまでは、新聞・テレビ・ラジオ・出版(書籍・雑誌)をマスコミ4媒体と呼び、社会への影響力が大きなメディアと考えてきたが、たとえば各メディアに出稿される広告費でみると、直近に発表された統計では昨年初めて、この4媒体の合計よりもインターネット広告単体の方が多いという状況になっている。

 デジタル検討会

 実際、映像メディアという枠でも、放送同等あるいはそれ以上に動画配信サービスが多くのユーザーを獲得しつつある。既存放送メディアでも、ラジオであればインターネット配信の聴取者が格段に増加しているし、テレビの見逃し配信や同時再送信が一般化してきた。そうであれば、多様性を考える場合に活字と放送だけでなく、もっと幅広に土俵を考えようという選択肢も当然に生まれるだろう。
 こうした時代状況の中で、総務省に「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」が昨年末に発足し、急ピッチでの議論を進め近日中に中間とりまとめが公表される見込みとなっている。同省ではこれまで、放送制度の基本枠組みについては「放送を巡る諸課題に関する検討会」が15年から5年間にわたり28回の会合を重ね、様々な提言も行ってきた。分科会やワーキンググループも20を数え、まさに将来を見据えた大掛かりな議論であった。
 事実上、この後継としてメンバーを一新して組織されたのが前述「デジタル検」で、「デジタル化が社会全体で急速に進展する中、放送の将来像や放送制度の在り方について、『規制改革実施計画』や『情報通信行政に対する若手からの提言』(21年9月3日総務省情報通信行政若手改革提案チーム)も踏まえつつ、中長期的な視点から検討を行うことを目的」としたものだ。この3月までの4カ月で、すでに7回開催されているが、事業者団体からのヒアリング等も踏まえ示されたのが「放送の将来像と制度の在り方に関する論点整理の方向性」や「マスメディア集中排除原則と放送対象地域の見直しの方向性」である(2月16日付)。
 そこでは「経営の選択肢を増やす観点」という言い方で、経営・事業統合や番組の共有化を進めたり、放送ネットワークの一部をブロードバンドやケーブルテレビ網で代替する方向性を示すものになっている。

 情報の海の中で

 確かに今後、ネット上で映像コンテンツを見る流れは止まらないであろう。放送局からすると「ネットに乗り入れる」話だが、実態は「ネットにのみ込まれる」可能性が高いのではないかということだ。
 仮にブロードバンド上で民放とNHKの共通プラットフォームが確立したとしても、その時に冒頭で述べた二元体制が維持できるかだ。広告の有無や受信料支払いのインセンティブが維持できるかも課題になろう。あるいは県ごとに違う番組が流れる現在の地上波テレビの在り方を、ネット上でも維持できるとは考えづらい。しかしより大切なのは、情報の海の中で、本当に民放が必要と思われるコンテンツに足りうるかだろう。
 多くの人が同時に視聴し、地域社会共通の話題や課題を共有することで、コミュニティーにおける対話のきっかけや政治選択可能性を持つことは、民主主義社会として維持しなくてはいけない必須事項だ。しかも地域性を有しつつ、域内での情報の多様性・多元性が維持される情報環境が維持されることは、その地域の市民にとって重要なことだ。それは視聴者の見る権利であり、放送の自由の内実でもある。
 今回の「改革」もそのおおもとは規制緩和の流れの中にあって、新自由主義経済の中で放送局も荒波にもまれることが当然となりがちである。この本音を明らかにしたのが安倍晋三政権時代の18年に策定された放送改革方針で、放送のみに適用される規律は撤廃、民放は不要という言葉が刺激が強すぎ、棚上げになった経緯がある。しかしその後も、菅義偉政権でテレビ放送機能をブロードバンドに代替させる基本方針が了承され、現岸田文雄政権で今回の具体的方針が示されたわけであって、流れは一貫している。
 放送法の目的にもある「民主主義の維持発展に資する放送」が必要だとすれば、どのような形がふさわしいかという原点を踏まえ、もう一度きちんと社会全体で議論しなくては、いったん壊した後では手遅れだ。
 (専修大学教授・言論法)


 本連載の過去記事は本紙ウェブサイトや『愚かな風』『見張塔からずっと』(いずれも田畑書店)で読めます。