復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月10日「標的投下に那覇空港使用/F104の訓練基地に」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月10日の琉球新報1面トップは、「標的投下に那覇空港使用/F104の訓練基地に/防衛庁が申し入れる/民間機離着陸に支障」との見出しで、射撃訓練で使用した標的を射撃後に投下する計画が航空自衛隊側から運輸省那覇航空事務所に示されていると伝えている。記事では使用の方法について「標的(ターゲット)は、11月那覇空港に配備されるジェット練習機T33 6機がえい航し、これをF104Jが射撃、投下後、その状況を調べるもので、射撃訓練の場所は、沖縄本島東海上の米空軍演習場のホテル・ホテルや、マイク・マイクなどの空域を共同使用する。訓練後那覇空港に標的を投下する場所っは、滑走路と誘導路の間のグリーンベルト地帯だという」と説明している。

 さらに防衛庁の説明として「投下するときだけ民間航空機の離発着はできないが、それはほんの数分間であり、しかも1週間に2日程度、日に2、3回投下するていどなので、特に民間航空機の支障になるようなことはない」との弁も紹介している。記事では、今回の計画が「那覇空港の超過密化が問題となっているときだけに問題となりそうだ」と指摘する。

 このほか「田中内閣支持は46%/リサーチセンターが調査」や「日中・安保の両立確信/米、ハワイ会談を総括」、「日本大使館に乱入/ソウルで200人がデモ」の見出しの記事もそれぞれ掲げている。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。