復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月12日「市営住宅への入居も拒否/〝反自衛隊〟さらに拡大」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月12日の琉球新報1面トップは、「政治解決に柔軟姿勢/南ベ革命政府、和平で重要提案/チュー辞任触れず/米の介入停止条件に」との見出しで、ベトナム戦争の中で南ベトナム臨時革命政府が「米国の侵略戦争終結とベトナム和平回復に関する重要声明」を発表したことを紹介している。トップに隣接して「米機、ハノイ中心に猛爆」と米空軍のF4ファントム戦闘爆撃機がハノイ市内の鉄道橋などを爆撃したと北爆の様子を伝えている。

 沖縄の中で根強い反日本軍意識を反映したものとして「市営住宅への入居も拒否/〝反自衛隊〟さらに拡大」とのみだしで、那覇市と浦添市が市営住宅への自衛隊入居拒否を決めたと報じている。記事では「自衛隊が民間のアパートなどに入居していることについても市当局、民主団体、市民3者の連携を強め居住状況を調査のうえで市民生活から追い出す作戦を考えている。両市の決定には豊見城、南風原、与那原、西原各町村とも同一歩調をとることを申し合わせている」と詳細を伝えている。

 基地従業員に対する米軍の対応を巡って「〝はち巻きは権利〟/『労働三法』をたてに、全軍労が闘争突入」との見出しで全沖縄軍労働組合の闘争を掲載している。記事では「米軍基地での労働組合活動は『在日米軍規則』により大幅に制限されているが、全沖縄軍労組(渡口真吉委員長、1万3千人)は11日、米軍規則は安保条約に基づく地位協定に違反するとして同規則を無視し、在沖米陸軍牧港兵たん局を中心に一斉にはち巻き闘争に突入した。組合側が米軍規則に対抗し、労働三法(労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)による公然とした〝順法闘争〟をするのは今回が初めてで、安保条約と国内法との関連が問題化している中で、今後の闘争の成り行きが注目される」と記している。

 北谷町の米軍基地を巡っては「〝村振興に重大支障〟/ハンビー飛行場裏突堤/北谷村、米軍の継続使用、拒否へ」との見出しで、北谷村(当時)にある米軍ハンビー飛行場に関して防衛施設庁が地元漁協に対し、「飛行場裏突堤を引き続き米軍に使用させてもらいたい」と働き掛けていることに、比嘉正章村長が反対の意向を固めたとの記事を掲載している。記事では、比嘉村長が「これは漁協だけの問題ではなく、村全体として取り組む必要がある。(中略)村としての反対の立場をはっきり打ち出す」と述べたことを紹介している。

 記事によると、ハンビー飛行場裏突堤は電力公社の発電船停泊地だったが、5月15日の返還時点の閣議で返還協定の基地リストに含められ、6月16日の官報告示で「米軍の継続使用基地」の一つになっていた。記事では「米軍側はいつの間にかこの突堤を海軍補修部隊の専用軍港として利用し最近では同軍港内のしゅん設工事を行うなどっして機能強化を図っている」という。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。