復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月13日「まだある毒ガス」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月13日の琉球新報1面トップは、「値上げ幅、政府試案内で/米価審議会が答申/可能な限り圧縮を/普通米制度には反対」との見出しで、米の政府売り渡し価格引き上げを平均8%とする政府の諮問案の審議会の議論内容を紹介している。

 トップではないが、大きな見出しを掲げたのは「まだある毒ガス/先月900トン運び出す/東海岸沖にも大量投棄/原水協が調査」との記事で、「毒ガスは沖縄から撤去された―と米軍当局はたびたび言明していたが、このほど原水協(仲吉良新理事長)は復帰後再三にわたる毒ガスが原因とみられる事故や豊見城村瀬長島弾薬庫の〝ヤギ放牧〟などにみられるように『沖縄にはまだ毒ガスが貯蔵されているのではないか』と、疑惑が高まっている」と原水協の調査の背景を紹介している。

 国会・衆院内閣委員会の議論をめぐり「〝瀬長島に核はない〟/久保防衛局長/必要なら独自調査も」との見出しで、政府見解を紹介している。

 田中内閣が進める「日本列島改造」に絡んで「列島改造に基地は〝邪魔〟/海洋博道路にも障害/建設相」との見出しで、衆院地方行政委員会で木村武雄建設相が「日本列島改造のためには、在日米軍基地がない方がやりやすい」と表明したことを伝えている。関連して、衆院社会労働委員会での審議で米軍への給水問題に関して「市町村で自主解決を/水道問題/政府、対米交渉に消極的」との見出しで、塩見俊二厚生相が対米交渉への消極姿勢を示したことを伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。