復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月21日「米兵、軍従業員を射殺」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月21日の琉球新報1面トップは、「米兵、軍従業員を射殺/海兵隊基地内で/小さなことで口論/武器庫から持ち出し/日本側に第1次裁判権」との見出しで、金武村の米軍キャンプ・ハンセン内の隊舎内で米海兵隊兵長が日本人従業員を軍用銃M16ライフルで射殺したとの記事を掲載している。記事では沖縄県警は容疑者の兵長が「公務外」だったとみて「第1次裁判権は日本側にあるものとしている」と記している。さらに「復帰後の沖縄基地の日本人従業員に対する政策と態度がこの事件に端的にあらわれたものとして沖縄各界には憤激の風がまき起こっており、沖縄の反基地闘争はいっきょに燃え上がることになろう」と見立てている。

 現場の状況について、日本人従業員の目撃証言のほか、別の目撃した米兵が当初は「見た」と言っていたが、その後証言を翻し「見なかった」と話したので「上官が説得してやっと調書をとったという」とも記載している。

 関連の解説記事には「反安保闘争に油注ぐか/おそかった米軍側の発表」との見出しを掲げている。この基地従業員射殺事件が「復帰後の沖縄の日本人の立場を象徴している」と指摘し、3点のポイントを挙げている。1つに沖縄県警が現場の捜査が十分にできたのか、2つに公務中か公務外かの判断がどうなるか、3つ目が事件発生後10時間が経過しても捜査や基地内の状況がほとんどわからず、米側が簡単なコメントのみで日本政府も夜半になってもなんの事実も知らされなかった―と指摘している。その上で「これらは復帰後の沖縄の安保条約下の地位を雄弁に物語っている。基地労働者に対する米軍の圧迫が強まり、占領意識まるだしのなかで起きたこの事件はたんなる殺人事件ではなく、沖縄の米軍基地のあり方を省庁的に示したもので、今後、秋の反安保、反基地闘争の火ダネに油を注ぐことになり、内外に大きな影響を与えるだろう」と見越している。

 沖縄振興開発計画の策定に向けた審議をめぐり、県政与党や民主団体から拙速な決定に反対の声も上がる中「実質審議せず散会/答申案、専門部会におろす/振興開発審」との見出しで、沖縄県振興開発審議会としては審議について専門部会での討議に預けた形で、計画策定を急ぐ県としては「窮地に立たされている」と記している。関連で「さらに討議深める/県執行部と与党運営委/振興開発計画で一致」との見出しで、慎重な計画策定を訴える県政与党と県執行部との話し合いの様子も掲載している。

 神奈川県の米軍相模原補給敞からの戦車移送問題をめぐる国会審議で「戦車輸送、閣議了解変更せず/社党の抗議に官房長官表明」との見出しで紹介している。このほか日中国交正常化に向けた政府日程などの記事も掲載している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。