復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月23日「尖閣列島で在沖米軍が『残虐兵器』演習」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月23日の琉球新報1面トップは、「在沖米軍が『残虐兵器』演習/尖閣列島でミサイル摸擬爆弾発射/瀬長議員が発表/国会で取り上げ糾弾」との見出しで米軍が尖閣諸島の赤尾嶼で空対地AGM12型ミサイルの摸擬爆弾の投下訓練を実施していることについて、瀬長亀次郎衆院議員が明らかにしたと報じた。復帰後、尖閣諸島での同様の訓練は初めてという。

 記事では、瀬長議員が那覇防衛施設局を訪れて確認したところ「同訓練について8月9日付けで発信人艦隊司令標的担当官ジョセフ・S・ルイス・ジュニアから銅崎花防衛施設局長あてに通知が出されていることがわかった。同通知によると件名は合衆国訓練区域演習通知となっており施設番号FAC6085、施設名赤尾嶼182、使用日時は9月22日から23日まで午前10時から午後5時まで、使用部隊VP22(那覇基地のP3対潜しょう戒機部隊)、活動AGM12型摸擬誘導弾の投下訓練―となっている」と記している。

 金武町の米軍キャンプ・ハンセン内隊舎であった米海兵隊員による基地従業員射射殺事件に関連して「異例の強い表現/県議会与野党一致/射殺事件で抗議決議/各派交渉会」との見出しで、県議会の与野党が一致して米軍に強く抗議する姿勢を示すこととなった。記事では、抗議決議と意見書の内容について「この事件は米軍の占領意識と人命軽視によるもので、米軍基地の存続に発生の根源がある」との決議内容を紹介している。

 米兵による基地従業員射殺事件に関連しては「引き渡しが望ましい/国家公安委員長ら/射殺事件で政治的判断」との見出しで、木村国家公安委員長や郡法相らが日本側への身柄引き渡しが望ましいとする見解を照会している。さらに全軍労が高松施設庁長官と面談したことを伝える記事では「強力な対米姿勢要請/全軍労三役、高松施設庁長官と懇談」との見出しで沖縄側からも政府に強く要請が出ていることを伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。