復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月24日「国際通りに『歩行者天国』」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月24日の琉球新報1面トップは、「『車両制限令』規定超過の車両/総合事務局が次々認可/復帰協など反発/本土勢力と闘争展開/米軍、自衛隊から申請相次ぐ」との見出しで、道路を通行する車両の重量や幅などの大きさを定める車両制限令を超えた車両の通行について米軍と自衛隊から申請が相次いでいることを紹介している。既に沖縄総合事務局が米軍2件、自衛隊1件の国道使用を許可したという。これに復帰協が「反戦平和の立場から」許可しないよう申し入れる動きに発展している。神奈川県の米軍相模原補給敞からの米軍戦車搬出を巡り地元自治体が道路法を盾に通行を認めない事態となった直後だけに問題視しているという。

 関連で「こんどは港則法戦術/横浜市/米軍に出港届け要求」との見出しで、横浜市が道路法に続いて港則法の順守を米軍に順守させるよう運輸省に求めたことを紹介している。記事では「入港については地位協定5条で『適当な通告をすればいい』と事実上の免除規定が明記されているが、出稿については何の例外規定がないことから、横浜市は『米軍は当然国内法を順守すべきだ』としている。この〝港則順守〟は横浜市が米軍に道路法を順守させたのに次ぐ第2弾で、政府、米軍の出方が注目されている」と記している。

 2番手の「左肩」位置には「国際通りに『歩行者天国』/次は来月9日/20万の市民が楽しむ」との見出しで、秋分の日の23日に那覇市の国際通りで歩行者天国を実施したことを伝えている。秋の全国交通安全沖縄県民運動の一つとして沖縄で初開催された。記事では「『車が通らない。ただそれだけのことだが、なんとなく楽しくなった』―。(中略)デパート『リウボウ』前から安里三差路までの1600メートル〝奇跡の1マイル〟は車から解放された市民のうれしそうな顔で埋め尽くされた。およそ20万人の市民が約半日、国際通りを〝占拠〟した」」と歩行者の様子を掲載している。

 金武町の米軍キャンプ・ハンセン内で基地従業員が海兵隊員に射殺された事件で「即時引き渡し要求/軍従業員射殺事件/日弁連調査団ら来沖」との記事で続報を掲載。さらに関連で「あす抗議集会/金武」と25日に金武村の金武中学校校庭で開催することを告げている。

 このほか、日中国交正常化に向けて「首相あす訪中/一気に国交正常化」との記事も掲載している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。