復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月28日「那覇市長選、翁長氏が出馬表明」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月28日の琉球新報1面トップは、「日中国交きょう回復/歴史的な共同声明発表へ/直ちに国府と断交/あす宇山大使引き揚げ」との見出しで、27日の日中首脳会談と日中外相会談の様子を紹介し、28日に日中共同声明発表の運びとなっていることを伝えている。関連きじでは「毛主席、首相と会談/健康そのもの/復交交渉終了」と田中角栄首相と毛沢東主席との会談の様子を掲載している。さらに「『台湾処理』で一歩も譲らぬ/小坂・廖会談の全容」と自民党訪中代表団と周恩来首相との会談の様子などを伝えている。

 11月19日実施の那覇市長選で「翁長氏が出馬表明/那覇市長選、自民の要請を受諾」との見出しで、翁長助静那覇市教育委員長が保守系無所属として出馬することを表明したとの記事を掲載している。翁長氏は、自民党からの出馬要請を受諾した際に「できるだけ広範な市民層を結束するため、自民党公認ではなく無所属として出馬したい」と応じたという。

 米軍キャンプ・ハンセン内の基地従業員が米兵に射殺された事件で「駐日米大使館に抗議/県議会代表団、射殺犯人引き渡し要求」との見出しで、米側が「『日米地位協定第17条5項Cで米側が確保することが明確なので、そのとおりにしなければならない』と起訴前の身柄引き渡しには応じられない旨、重ねて明らかにした」と応答について紹介している。

 「復帰」後初の沖縄振興開発計画について「沖縄開発計画案を決定/県審議会/環境保全を優先/高福祉社会達成打ち出す」との見出しで、県審議会が県への答申案を決めたことを伝えている。「論議の焦点となった工業開発については環境保全を前提とすることを強調するにとどめて具体的な公害企業の規制については執行段階で検討することにしまた開発のガンとなっている軍事基地の整理縮小についてもこれからの課題として強調されている」と記している。

 全国と同じく引き上げが予定されている沖縄の消費者米価について「政治折衝に移る/事務レベルの判断変わらず」との見出しで、政治折衝のステージに移ることを紹介している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。