復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉9月29日「沖縄海洋博に中国招請へ」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年9月29日の琉球新報1面トップは、「日中共同声明きょう発表/早急に大使交換/諸協定を結び緊密化」との見出しで、いよいよ日中国交正常化が迫ってきたことを伝えている。さらに「予想される共同声明要旨」と概要も既に紹介している。関連では「きょう国府と断交/政府、駐日大使を招き通告」と台湾との国交断絶の流れも伝えている。

 日中国交正常化に関連して「沖縄海洋博に中国招請へ/通産省/百カ国参加に努力」と、日本政府として沖縄での国際海洋博覧会に中国も招待する方針を紹介している。

 米軍キャンプ・ハンセン内での米兵による基地従業員射殺事件を受けて県議会の要請団が上京し「〝回答に満足できぬ〟/射殺時件県議会要請団/強硬な対米折衝要請」との見出しで、平良幸一団長が日米地位協定のあり方について見直す必要があると指摘したことも伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。