変わらぬ危険な空、オスプレイ配備10年 「慣れたら駄目」胸に、米軍機事故、継承で思い、宮森630会・久高会長


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10年前の「オスプレイ配備に反対する県民大会」の新聞紙面を見ながら当時を振り返るNPO「石川・宮森630会」の久高政治会長=9月26日、うるま市

 米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが国内で初めて宜野湾市の米軍普天間飛行場に配備されて1日で10年。10年前、オスプレイの配備撤回を求めて県内の各種主要団体を網羅し、県議会各会派も加わった実行委によって開かれた県民大会には約10万3千人が結集。沖縄戦体験者や戦後の米軍機墜落事故の関係者らは「二度と悲惨な出来事を起こしてはいけない」と強い危機感を持って参加した。配備は強行され、事故が相次ぐ。再発防止策は徹底されず、落下物事故の被害を受けた当事者は不安を抱えたまま暮らしている。

 2012年9月9日、宜野湾市海浜公園で開かれた「オスプレイ配備に反対する県民大会」に宮森小米軍ジェット機墜落事故を記録し語り継ぐNPO「石川・宮森630会」のメンバー10人も参加した。その中に630会の事務局長だった久高政治さん(74)=うるま市、現会長=もいた。

 1959年6月30日に発生した宮森小への墜落事故では児童12人を含む18人が犠牲になった。「欠陥機」と言われるオスプレイの配備は宮森小のような悲惨な墜落事故につながると事故の体験者や遺族は危機感を強めていた。

 久高さんも「過去のことを語るだけでいいというわけにはいかない」との思いで県民大会に参加した。会場に足を運ぶことができない高齢の遺族は、自宅で鉢巻きをして反意を示した。

 あれから10年。県民の必死の訴えを無視して配備されたオスプレイは、沖縄の空を飛び続けている。久高さんは「世界情勢の緊迫で米軍の訓練は激化していると感じる。訓練が増えれば墜落の危険も高まる。事態は10年前より悪い」と声を落とす。

 今年8月、米軍普天間飛行場の野嵩ゲート前で行われたオスプレイの飛行停止を求める抗議行動に足を運んだが、参加者は12人と少なかった。日常的にオスプレイが飛行する状況に、県民が「慣らされている」と感じている。久高さん自身も、毎日繰り返される米軍機の飛行訓練をやり過ごしてしまいそうになる。

 そんな時に思い出すのは、630会の前会長で墜落事故時には児童の遺体を親に引き渡す責任者だった豊濱光輝さんの言葉だ。講演などに出向く久高さんに、豊濱さんは「被害を受けた人々の痛みや苦しみに常に寄り添って墜落事故の実相を語らないといけない。慣れたら駄目だよ」と語っていたという。

 共に県民大会に参加した豊濱さんは2015年に亡くなった。久高さんは「慣れたら駄目だよ」との言葉を胸に刻んで墜落事故の歴史を語り継いでいる。「宮森小の墜落事故を語ることは、今を語ることと等しい。墜落事故を二度と繰り返さないために、63年前の悲惨な事故を何度でも思い起こして伝えていかなければならない」と決意を新たにした。 
  (赤嶺玲子)