prime

台風や不審火…「逆境こそさわやかに」 大川家具、ピンチをチャンスに変えた創業者の精神<暮らしを豊かに・家具の「大川」>3


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
台風や大雨で川が氾濫し、家具が被害に遭うと風水害御見舞セールを開催した=1965年(大川提供)

 那覇市安里の国際通り。現在のホテルロイヤルオリオン向かいに1961年5月、木造赤瓦2階建ての「大川家具販売所」が開店した。復帰前の沖縄には小さな家具店が200店舗ほどあった。大川家具販売所も個人経営の小さな店だったが、他店が米軍払い下げ品から家具を作っていたのに対し、大川家具販売所は日本から家具を「輸入」し販売していた。

 創業者の外間完和氏(故人)は今帰仁村出身で、実家は呉服店を営んでいた。沖縄戦前に熊本県に疎開し、そこで製材所を開く傍ら、洋服生地の販売を熊本県全域で手掛けていた。

 完和氏は人脈を大事にする人だった。戦後、沖縄に戻ると、熊本時代につきあいのあった福岡県大川市の工業会の協力を得て、沖縄に家具を輸入した。これが「大川」の始まりだ。当時、米国統治下だった沖縄との取引には煩雑な手続きが必要だったにもかかわらず、協力してくれた恩を忘れてはいけないと、大川市から社名を取った。

 71年に創業の地から少し離れた蔡温橋に移転したものの、2008年まで47年間にわたり本社を国際通りに置いた。「水害との闘いが大川の歴史」と表現されるほど、当時の国際通りは大雨が降ると川が氾濫し、付近の店舗は浸水した。

 大雨や台風が近づくと、商品を高い位置に上げ、浸水を防ぐため砂袋を置いたり新聞紙を敷き詰めたりして備えたが、それでも被害を受けた。

 売り物である家具がぬれたり汚れたりするのは大打撃だが、大川はそれさえも商機にかえるたくましさを見せる。

 被害に遭った家具を店舗前で社員総出で洗う。場所は国際通り。とにかく目立つ。洗った家具は「風水害御見舞いセール」と銘打って手頃な価格で販売した。

 76年の大みそかには不審火による火災で、那覇市古島の倉庫が全焼するという大ピンチに見舞われた。77年1月1日付本紙によると、千点以上の家具が焼け、被害額は5千万円以上となった。

 取引先の福岡県大川市からの支援で家具を調達し「罹災救援お見舞いセール」として全商品4割引で販売した。創業者の完和氏の信念は「逆境こそ、さわやかに」。度重なるピンチをチャンスに変えた。

 泊港での倉庫バーゲン、年賀はがきによるお年玉プレゼント、テレビショッピングなど次々に新たなキャンペーン手法を展開し、業界に新風を吹き込んだ。

 完和氏の長男で92年に跡を継いだ外間幸一社長は「失敗しても怒られたことはない。だから次々に新しいことに挑戦できた」と振り返る。挑戦を忘れない創業者の精神が、今の社風にも引き継がれている。

(玉城江梨子)