琉球の主人公は琉球人 若者たちとつながろう 知念ウシ(むぬかちゃー)<女性たち発・うちなー語らな>


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 学生とユンタクしていたら、「別に私たちナイチャーに劣等感とかないですよ」と言われた。その日の授業で、被植民者の自己疎外感、劣等コンプレックス、植民者の優越感について分析したので、その感想だった。学生は続けた。「でも高校生の時から、バイト先では店長も副店長もバイトリーダーもナイチャーだから、『指示を出すのはナイチャー、リーダーはナイチャー』という感覚はありますね」

 他の学生に聞くと同意した。「ナイチャーは日本語がうまいでしょう。人を指図する時、丁寧な“ちゃんとした”日本語でくるので圧倒されて、黙って従ってしまうんです」

 大人の社会では、明治以来の日本同化や本土系列化などで、琉球の自己決定権がゆがめられていることは私も批判してきた。しかし若い世代にもその問題があったのだ。「若者には本土への劣等感はない」と言われる一方で、彼らは10代のうちから琉球を支配する日本資本主義の末端に位置付けられ、むきだしの権力関係にさらされ、それを受容していた。経済的上下関係は、人間の心理、生き方、政治的選択にまで影響していくだろう。

 この地の人々は、1372年には琉球国を成立させており、以来500年以上、一国を運営してきた。東南アジアでは、レキオスと呼ばれ、勇敢で怒ると怖く、信義に厚く仲間を売らない人々だと言われた。1879年、日本に武力で滅ぼされ強制的に沖縄県が設置されてからは、日本から流入した人々が、政治・経済・社会・教育を牛耳った。当時「琉球新報」を創刊した主筆の大田朝敷は、琉球人は自らの故郷で「食客」(居候)の地位に追いやられ、こんな場所は「植民地以外にない」と憤った。

 1945年、日本防衛のための捨て石として沖縄戦に協力させられ、ジェノサイドに近い被害を受けた。敗戦後、そのまま米占領にウッチャン投げられたが、琉球人は米軍支配に徒手空拳で立ち向かった。米軍支配下でも、琉球政府として立法・行政・司法を担った。その抵抗の高まりを恐れた米軍が、1972年「施政権」を日本に渡し、また日本に服属することとなった。そしてその半世紀後、「リーダーはナイチャー」という若者を生み出している。ちなみに「ナイチャー」とは差別語ではなく、権力関係を指摘する語だ。学生たちも「内地から来て自分たちの上にいる人」という意味で使っている。

 琉球人女性が自らの社会に対する考えを、誰に代弁されることなく、自ら立論し、発する場は重要だ。琉球の主人公もリーダーも琉球人であり、琉球人女性であると、本欄を通じて若者たちにも伝えていきたい。


 ちねん・うし 那覇市首里生まれ。津田塾大・東京大卒。沖縄国際大大学院修了。同大・沖縄キリスト教学院大非常勤講師、むぬかちゃー。著書に「ウシがゆく」「シランフーナーの暴力」。共著に「逃走する境界」「沖縄脱植民地の胎動」他。沖縄語(ウチナーグチ)普及協議会(ふぃるみーるたみぬ じんみぬ くゎい)理事。