家族と離ればなれの時も…移民の苦難語る 那覇で「世界のウチナーンチュ」シンポ


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祖父母に日本語を教わった思い出などを語る金城ビアンカさん(右)と宮城エリカさん(左)=1日、県立博物館・美術館

 第7回世界のウチナーンチュ大会シンポジウム「わったー世界のウチナーンチュ~海外県系人の軌跡~」が1日、県立博物館・美術館で開かれた。

 大会実行委員会の主催。名桜大の我那覇宗孝客員教授はペルー移民について紹介した。1899年の日本人移民に続き、1906年に沖縄移民が始まり、県人会や頼母子講(模合)で相互扶助ができたという。

 41~45年、移住の中止や再入国禁止、学校閉鎖、強制連行などが行われ、58年まで1世と2世の帰国禁止が続いた。家族と離ればなれの状況となったことからブラジルやアルゼンチンなどに転住も相次いだという。

 第2部はブラジル出身の金城ビアンカさん=県系3世=とボリビア出身の宮城エリカさん=県系2世=が流ちょうな日本語で語った。それぞれ祖母から戦争によって戦後も苦しんだ体験を聞いたことや、差別されても「人を嫌いにならないように」と言われたことなどを振り返った。 (中村万里子)