復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月5日「陸自第1混成群、第1陣着く」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月5日の琉球新報1面トップは、「陸上自衛隊第1混成群第1陣着く/本格配備急ピッチ/年末までに3千人」との見出しで、陸自隊員の沖縄配備の第一陣115人が沖縄入りしたことを伝えている。これで陸自216人、海自69人、空自782人、地方連絡部20人の合計1087人となった。関連記事では「隊員に沖縄の歴史を教育」との見出しで、桑江良逢群長が会見で来県前に隊員には沖縄の歴史を教育しているなどと話したことを紹介。会見で桑江群長は「百万県民が自衛隊に直接、接する機会が少なかったために十分理解や認識がなされていないと思う。旧軍や米軍の上に各人がイメージしているようだが自衛隊は新しくできたもので、本当の姿を直接、見聞すれば理解してもらえると思う。沖縄県民の心は沖縄戦やその後の施政権分離など歴史的背景なくしては理解できない。しかし、全県民が自衛隊の沖縄配備に反対しているとは思わない。反対を主張している人にもぜひ会いたい」と語ったという。

 自衛隊関連では「自衛隊が共同使用/瀬長島の弾薬、給油タンク」との見出しで、瀬底島にある米軍の弾薬庫5棟と給油タンク、通信ケーブル、航空機用の倉庫などを米軍と共同使用する方針だと明らかにしている。

 沖縄県の初めての名誉県民として前総務長官の山中貞則衆院議員が選ばれたとの記事も掲載している。

 沖縄国際海洋博覧会の開催に関連しては「中国も海洋博に参加/開発に積極的な関心」との見出しで、中国から日本への海洋学会代表団が中国の参加を明らかにしたと伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。