新垣健さん死去 沖縄のハンドボール界発展に尽力 84歳


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新垣 健さん

 1988年の兵庫インターハイで小禄高男子ハンドボール部を率い、全国大会での県勢初優勝に導いた新垣健(あらかき・けん)さんが3日午後7時、病気療養中のところ西原町内の病院で死去した。84歳。告別式は9日午後2時から2時45分。浦添市前田2の15の1、サンレー中央紫雲閣で。喪主は妻正子(まさこ)さん。

 高校教諭で、ハンドボール指導者として沖縄工を皮切りに歩み、浦添を全国総体の常連校に導き、豊見城、小禄、那覇西でも情熱を注いだ。

 65年の県ハンドボール協会設立の中心メンバーで65~86年まで副理事長。2014年まで副会長。15年から顧問。半世紀以上にわたって県協会やハンドボール界の発展に尽くし、多くの選手や指導者を育てた。

 1987年の海邦国体では成年男子監督を務め、黒島宣昭(元興南高監督)、喜舎場淳一(元浦添高監督)、東江正作(琉球コラソン監督)の各氏らが中心選手として活躍し4位入賞。ソウル五輪代表の荷川取義浩氏(北国銀行監督)も教え子の1人。
 (大城三太)