復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月8日「国道を国民に返せ/331号開放要求大会」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月8日の琉球新報1面トップは、「331号線開放要求大会〝国道を国民に返せ〟/米軍占拠に抗議/第1ゲート突破図る」との見出しで、復帰して国道になっても米軍が軍事専用道路として占拠する331号の開放を求める住民の総決起大会の様子を掲載している。大会の要求では「国道を県民が通れないのは復帰後もいぜん軍事が優先されている証拠だ。軍事優先によって県民の権利がはく奪されている。われわれはこれ以上の我慢はできない」と訴え、日米両政府に国道の即時開放を求めた。

 復帰後の那覇空港の状況で「P3機常駐認めぬ/宮里副知事」との見出しで、米軍のP3哨戒機の那覇空港からの撤去について大平正芳外相が撤去を当面断念し常駐を認める方向を示唆したことに宮里松正副知事が常駐を認めない考えを示したことを紹介している。

 復帰後の観光客の増加に備え「タクシー増車検討/総合事務局運輸部/観光客の激増に対応」との見出しで、総合事務局がタクシー増車の方針を検討していると伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。