復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月7日「強行配備、即時中止を/復帰協、自衛隊基地に怒りのデモ」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月7日の琉球新報1面トップは、「強行配備、即時中止を/復帰協、決起大会、1万人が参加/自衛隊基地に怒りのデモ/『射殺』『無罪判決』に抗議/一部は軍港ゲートに突入」との見出しで、米軍キャンプ・ハンセン内の日本人従業員射殺事件やれき殺事件での無罪判決、自衛隊の沖縄配備に抗議する「県民総決起大会」の様子を掲載している。

 復帰後、那覇基地に駐留していた米軍のP3対潜哨戒機の撤去を巡り「P3機撤去を当面断念/外務省/那覇空港に常駐へ」との見出しで、日本政府としてP3機の那覇空港常駐を認める方針を決めたことを伝えている。記事では、大平正芳外相の発言として「米軍機P3機をかたづけなければ整備はできないが、そのかたづけ方は、普天間にもっていくとなると、押し出しになるが、やるならやると早く見きわめる必要がある。それができないなら、現実的に処理しなければいけないので、事務的につめさせたい」と紹介している。さらに「大平外相の発言は、P3機の那覇空港からの撤去を当面断念、那覇空港に常駐を認めることでターミナル建設を進めていく方向を示唆したもので、P3機の撤去がこれまでの政府の〝公約〟となっていただけに、今後国家伊などでも問題となろう」と記している。

 復帰後、国道となったにもかかわらず米軍が軍事用道路として占用を続けている問題で「国道331号返還せよ/住民会議、きょう強行突破めざす」との見出しで、住民達が実力行動にでる構えであることを伝えている。関連では「軍用道路の返還を日米合同委で/木村建設相」との見出しで、木村武雄建設相が大平外相に要望を伝えたことを紹介している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。