復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月10日「きょう大綱引き」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月10日の琉球新報1面トップは、「臨時国会、冒頭から波乱含み/四次防、与野党の対立激化/知事談話、四次防に大きな疑問」との見出しで、27日招集の臨時国会の論戦を見通す記事を掲載している。

 2番手の左肩には「那覇まつり2日目、歩行者天国に20万人/きょう大綱引き/国際通り、パレードでにぎわう」との見出しで、那覇まつりの活況を大きな写真とともに伝えている。 

 参院の建設委員会の論議で、喜屋武真栄氏の質問に木村武雄建設相の答弁を「瀬底島架橋は調査/喜屋武氏、海洋博で政府ただす」との見出しで掲載している。

 復帰後初となる沖縄振興開発計画原案の県議会での審議をめぐる各派交渉会で「『報告にとどめる』/議会、取り扱いを協議/県振興開発計画案」との見出しで伝えている。県執行部が与党との話し合いで示した方針としては「議会の承認、議決手続きは必要としない」という態度を示している。これに対して、野党自民党は「振興開発計画は沖縄の将来を左右する重要な問題なので、住民代表機関である県議会で実質的な審議を桑江、議会の意思反映をできるような

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。