復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月13日「沖縄の自衛隊、侵略にそなえる」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月13日の琉球新報1面トップは、「運動方針案めぐり紛糾/県労協大会/定足数足りず休会/青年部設置で大荒れ」との見出しで、沖縄県労働組合協議会の復帰後の運動方針を議論する定期大会の様子を大きく伝えている。

 国会・衆院沖縄・北方特別委員会の論議を伝える記事は「沖縄の自衛隊/侵略にそなえる/増原長官強調/最終的には6500人」との見出しで、増原恵吉防衛庁長官が沖縄への自衛隊配備の意義を答弁している内容を紹介している。記事では増原長官が「沖縄の米軍は整理、統合の方向に向かう見通しであり、基地の縮小は可能だ」と発言している。その上で沖縄の自衛隊について「沖縄も日本の防衛全体の一環であり、間接侵略や小規模の直接侵略にそなえるもの」と強調したという。

 中央政局では「来月上旬にも解散か/政府内に観測強まる」と田中内閣の解散展望を見通している。さらに「4次防予算/凍結解除に反発/野党、冒頭解散の構えで追及」との見出しで、船田中衆院議長が4次防予算の凍結を解除したことに反発した社会党が強い姿勢で臨時国会に臨む方針を紹介している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。