復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月14日「自衛隊出動黙認か/不発弾の処理」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月14日の琉球新報1面トップは、「日ソ平和条約交渉/早期開催で意見一致/田中首相にブ親書/大平外相訪ソで本番へ」との見出しで、ソ連共産党書記長から平和条約締結を呼び掛ける初の首相宛ての親書が送られたことを紹介している。

 沖縄県内の不発弾処理について国と調整を進める沖縄県の意向について「自衛隊出動黙認か/不発弾の処理」との見出しで伝えている。記事では「県では国に責任を持って処理させる方針」と説明。調整している沖縄総合事務局は「昭和33年に出た『陸上の不発弾処理は知事から自衛隊に処理要請し、同隊が処理に当たる』との自治、警察、防衛、通産各省庁次官共同通達をタテに『自衛隊に処理させる』との意向を示している」との方針。沖縄の自衛隊配備について革新政党から反対の表明を求められている屋良県政だが「県では自衛隊に処理要請するかどうかの態度はまだ固めていないが『人命に関することであり、放置出来ない』(大島知事公室長)との立場から結局、自衛隊の出動を黙認した形で受け入れることになる見通しが強い」と記している。

 那覇市長選に関して「平良氏推薦/革新共闘会議/振興計画中に基地撤去を」との見出しで、革新側が現職の平良良松氏(社大)に推薦を出すことを決めたとの記事を掲載している。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。