「ハッピー与えられる女性に」トランスジェンダーの美を競う「ミス インターナショナル クイーン」日本大会に沖縄出身の宮城さん出場へ


社会
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ショーの衣装を身に着けて笑顔を見せる宮城なりささん(提供)

 世界最大規模のトランスジェンダーたちによる美しさを競う大会「ミスインターナショナル クイーン」世界大会出場を懸けて、28日に東京で開催される日本一美しいトランスジェンダーを決める大会「ミスインターナショナル クイーン ジャパン」に、読谷村出身の宮城なりささん=那覇市在住=が出場する。

 男性として生まれ、3年前に性別適合手術をして女性になり、戸籍上の性別も変更した宮城さん。「世界へ出る」という夢の第一歩として、大会出場を決めた。「女性になって、世界が広がった。みんなにハッピーを与えられる人になりたい」と目を輝かせる。

 昔から好きになるのは男の子だった。自身の心の性が女性であることは自然なことで、小さい頃は「自分は女の子」だと思っていたという。

 中学生の頃から身体と心の性が一致しないことが苦しくなっていった。男子用の制服を着なければならなかったり、体つきが男性らしくなっていったりする自分の変化に戸惑った。社会的には男性として見られる自分と、本心では「制服のスカートを履きたい」と思っている自分。その葛藤に苦しみ、漠然と「将来どうなるんだろう」と考えるようになっていった。

「世界に出てやりたいことがたくさんある」と語る宮城なりささん=9月、那覇市

 高校卒業後、女友達に借りた化粧品や洋服で「女性らしい」おしゃれをして、外に出るようになった。ずっと好きだった男性に告白したのもこの頃。だが「男だから」と振られたことで「どうやったら女性になれるのかな」と具体的に考え始めた。

 転機は20歳の時にショークラブで初めて見た、トランスジェンダーたちによるショーだった。「イルミネーションみたいにきらきらしていて、直視できないくらいきれいだった」と振り返るほどの衝撃を受け、ショークラブの世界で働くことを決めた。

 両親にカミングアウトしたのも同じ頃。両親は宮城さんが小さい頃に離婚しており、まずは離れて暮らしていた父に打ち明けた。殴られる覚悟だったが、父は「大変だと思うけど頑張れ」と背中を押してくれた。

 同居していた母は「やっぱりそうだったんだ」と号泣したという。涙を流す母を前に「女性になって生きていくって決めた。頑張りたい」と告げた。翌日、長文のメールが返ってきた。「一番の味方だから、中途半端にならずに頑張ってね」

 そこから家族や周囲の応援を励みに数々のショーに出て、ダンサーとしての経験を積んだ。そして「女性になる」という目標を達成するため、少しずつ手術を重ねていった。

 今の夢は「性的マイノリティー」という枠を飛び越えて、世界で活躍できるような人になること。「化粧品の広告モデルになって駅や空港の看板を飾って、歩きながらでも目にとまる人になりたい」と夢を描く。

 今、かつての自分と同じように自身の性について悩んでいる子どもたちに、世界に羽ばたく自分の姿を見せることも大切だと感じている。「影響力のある人になって、沖縄や日本を生きやすくしたい。悩んでいる子たちに『しんどいけど、諦めないで。生きていれば笑える時が来る』と伝えたい」と力強く語った。
 (嶋岡すみれ)