【那覇】那覇空港の第1滑走路と第2滑走路の間に残る旧大嶺集落に3日、同集落出身者らが立ち入った。戦前、日本軍に接収され、戦後は米軍用地、沖縄の日本復帰後は軍民共用の那覇空港用地となった同集落。出身者らは当時の面影を残す拝所跡などを訪ね、花や泡盛を供えた。
大嶺集落の歴史は古く、1713年に琉球王府が編集した「琉球国由来記」に地名が登場する。1719年に中国から冊封副使として来琉し、当時の風俗や芸能を記録した徐葆光(じょほこう)も、大嶺を訪ね漢詩を残した。
立ち入りを企画したのは、那覇市出身で千葉県の医師、上地政己さん(59)。集落出身の母親が亡くなった後、故郷の拝所に報告するため、ことし4月も集落跡を訪ねた。反響があったため、親戚や字大嶺自治会からも参加者を募り、再び立ち入った。
半農半漁で生活していた大嶺集落の人々が集落の繁栄や航海の安全を祈願した「龍宮」、清らかな水をたたえ、産湯に使われた「ヒージャー川」などは、当時に近い姿で残っていた。1996年に出身者らでつくる大嶺向上会が立ち入った際に設置した石碑もあった。
上地さんの叔母で、5歳まで集落で暮らした大城千代子さん(85)は「(住居などの)面影はないが、潮の香りで昔を思い出した。浜でよく遊んでいた」と記憶をたどった。土地接収後に訪れるのは初めてで「来ることができて感無量だ」と感慨に浸った。
上地さんは「今年は世界のウチナーンチュ大会がある。海外にいる県系人にも、このような場所があることを知ってもらいたい」と話した。
(稲福政俊)