復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉10月17日「米軍車両通行に特例/事実上〝野放し〟に」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年10月17日の琉球新報1面トップは、「米軍車両通行に特例/事実上〝野放し〟に/きょう車両制限令改正/〝安保の義務果たす〟」との見出しで、日本国内の米軍車両の通行について政府は道路管理者の許可を必要としない特例を設ける方針を決めたとの記事を掲載している。神奈川県相模原市の米軍相模原補給敞からの戦車移送で車両制限令の重量制限をたてに市長が通行を不許可にした戦車輸送阻止問題を打開するのが狙いと伝えている。

 事務次官会議で車両制限令の一部改正が決定。その内容は「同制限令第14条(緊急自動車などの特例)の適用除外車両に『日米安保条約に基づき、日本国内にある米合衆国の軍隊の任務の遂行に必要な用務のために通行する当該軍隊の車両』を新たに追加するもの」と紹介している。その上で「これによって日米地位協定(第5条)に明記された米軍施設・区域に出入りし、国内の港・飛行場間を移動するいっさいの米軍車両は国道・地方道を問わず道路管理者の許可を必要としないで、通行することが可能になる」と記し、建設省は改正理由として「安保条約と国内法との関係を明確化した」と挙げている。

 関連で、後藤田正晴官房副長官の会見発言を「米軍車への特例やむを得ない」との見出しで掲載している。また国政野党側の動向として「〝暴挙〟と一斉反発/野党、特例の撤回を要求」との見出しで、追及姿勢を紹介している。発端となった車両通行を不許可にした相模原市と横浜市の両市長は「対米屈従を暴露/両市反発」と伝えている。

 10・21国際反戦デーで沖縄県内の行動として「ホワイトビーチへ初のデモ/10・21に総力/復帰協が方針」との見出しで、ベトナム反戦や自衛隊配備反対の県民大会や抗議デモを展開するスケジュールを紹介している。

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。