世代を超えた文字の力 米ジャーナリストの来沖<乗松聡子の眼>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
乗松 聡子

 米国の著名なジャーナリストで、40万人のツイッターフォロアーを持つアビー・マーティン氏と、プロデューサーのマイク・プリスナー氏が1~6日まで来沖した。私は与那覇恵子氏(元名桜大学教員)と共に手配・同行・通訳でお手伝いした。

 アビー氏を最初に知ったのは2014年10月、「RTアメリカ」でピーター・カズニック氏(アメリカン大学教授)をゲストに、彼女が沖縄の米軍基地問題を取り上げた時だ。米国のTVで在外基地問題を批判的に取り上げることはまれなので、印象に残った。

 マイク氏はイラク帰還兵で、その後反戦活動家になった。昨年9月、ロサンゼルスでのGWブッシュ元大統領の講演会で「あなたは“大量破壊兵器”のうそで、百万ものイラクの人々や私の友人を殺した。いつ謝罪するのか!」と叫び、警備員に退場させられた。この時の動画はSNSで大拡散されたという。

 2人が運営するメディア「エンパイア・ファイルズ」は、米国の帝国主義に果敢に立ち向かう。19年には「ガザは自由のために闘う」という長編映画を制作した。今回は、米軍基地が環境と人間に及ぼす影響を明らかにするドキュメンタリー制作のために、グアムを経て沖縄に来た。辺野古新基地建設への抵抗運動を取材し、金武、嘉手納、宜野湾でPFAS(有機フッ素化合物)による水の汚染について地元の人から聞き取りをした。

 初日に宜野湾の嘉数高台から、沖縄戦が始まった慶良間諸島、読谷の米軍上陸地、そして今も占領されたままである普天間基地を俯瞰(ふかん)した。戦争の歴史と現在の基地被害とのつながりを一望できる場所だ。そこでアビー氏は「沖縄はジャーナリストとしての私の原点です」と語ってくれた。そのきっかけが、チャルマーズ・ジョンソン氏の著書「ブローバック」で沖縄の現状を知ったことだったと聞いて、私は跳び上がらんばかりに驚いた。

 ジョンソン氏(1931―2010)はかつてCIAの顧問も務めた保守論客であったが、1996年に当時の大田昌秀知事の招きで来沖した。前年の少女乱暴事件をはじめとする、米軍基地被害の現状を目の当たりにした衝撃が氏にとって人生の転機となる。ジョンソン氏は帰国後、余生を米国の帝国主義糾弾にささげることとなった。

 2000年にジョンソン氏が出した本「Blowback」(日本語版は「アメリカ帝国への報復」)では、米国は今にきっとしっぺ返しを食らうと主張、翌年に起こった911事件を予言した人とも言われた。その後も続々と本を出し、「軍事植民地状態」とされている沖縄での性犯罪をはじめとする事件事故、それらを正当に裁くことを阻む地位協定を批判した。

 私は、目の前にいる若きジャーナリストのアビー氏が、大田元知事が沖縄に招いて人生が変わったジョンソン氏の本を読んだ結果として、ここ沖縄に来ているという事実を前に体が震えた。故人である大田さんの導きで来たような気がしたのである。アビー氏にそれを話したら、「運命が一巡したのですね」と大変興奮していた。残りの行程も、好天と素晴らしい出会いに恵まれ、大田さんから見守られるように無事に取材を終えることができた。

 今回、世代を超えて引き継がれる文字の力を再認識することができたと思う。そして新たに映像の力でアビー氏は世界に発信する。ドキュメンタリーに期待したい。

 (「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)